広島市が2020年夏季五輪の誘致を検討しています。オリンピックをきっかけに、核兵器廃絶をさらに訴えたい、との考えです。
オリンピックは「平和の祭典」と言われます。なぜ、そのように言われるようになったのでしょうか。そして、今のオリンピックは本当に平和の祭典なのでしょうか。
日ごろは、勝ち負けや記録ばかりに目が向きがちなオリンピック。これまでの歴史や参加国、人数、平和の祭典の意味などを調べるうちに、国の経済力や政治の状態などが、参加や実施に影響していることが分かりました。これらを基に、より平和の祭典にする方法を考えました。
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広島大大学院 楠戸教授に聞く | 神への奉納が始まり/古代は戦争ストップ/憲章に「平和進める」 |
オリンピックが「平和の祭典」と言われる背景と現状、課題を広島大大学院学総合科学研究科教授の楠戸一彦さん(62)に聞きました。
オリンピックの歴史について話す楠戸教授(撮影・中1末本雄祐) |
今のオリンピックは「近代オリンピック」と言われ、1896年にギリシャのアテネで第1回大会が開催されました。古代オリンピックと同じように4年に1回開かれています。2008年の第29回北京には204の国と地域から約1万1000人が参加しました。参加者の数は、国の人口や経済力が影響しています。中国や米国、ロシア、フランスなどが多いです。
古代オリンピックは、紀元前8世紀ごろ古代ギリシャ人が神ゼウスに、歌や詩、ダンスなどとともに競技を奉納したのが始まりとされています。393年まで続きました。
近代オリンピックは、1894年にパリで開かれた国際会議でオリンピック復興が決まりました。この時に「スポーツを通しての平和的思想」を尊重することにしました。
しかし、1972年のミュンヘンオリンピックでは、大会期間中の選手村でパレスチナゲリラによってイスラエル選手団員が殺される事件が起きました。
また、80年のモスクワオリンピックでは、旧ソ連のアフガニスタン侵攻に反対した米国に賛同し、日本も参加をボイコットしました。当時、日本オリンピック委員会は参加を希望しましたが、政府が認めなかったそうです。2回の世界大戦中は中止されています。
古代オリンピックでは、期間中は戦争を中断することが決められていました。現在のオリンピック憲章でも「平和な社会を促進する」ことがうたわれています。しかし、北京オリンピックでは、中国政府のチベット族抑圧に反対して、聖火リレーを妨害する運動が起きました。
楠戸教授は、オリンピックをもっと平和の祭典に近づけるためには、スポーツを通じて友情やフェアプレーの精神を養い、互いに理解し合うことが大事だと言います。(高2・楠生紫織)
1896年の第1回大会にギリシャやドイツ、米国など13カ国が参加した。日本は第5回(1912年)のストックホルム大会に初めて参加。以降、第2次世界大戦の責任を問われた第14回(48年)のロンドン大会、ソビエト軍のアフガニスタン侵攻に反対した第22回(80年)のモスクワ大会を除いて、参加している。
1972年に当時の西ドイツ・ミュンヘンで開かれた第20回大会で、ゲリラが選手村に侵入。イスラエル選手団員を2人殺害し、9人を人質にとって、イスラエルに抑留されているパレスチナ人の解放を要求した。空港で警官隊と銃撃戦になり、全選手団員のほかゲリラ側と警官ら7人が死亡した。
国際オリンピック委員会(IOC)で決められた根本原則や規則、付属細則などを記している。
「オリンピズムの根本原則」のページには、近代オリンピックを提唱したフランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵が主張したオリンピックのあるべき姿が書かれている。スポーツを通して心身を向上させ、文化や国籍、宗教、性別などの差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神で理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する、としている。
開催都市については「同一のオリンピック競技大会の開催を希望する都市が1国のなかに複数ある場合、当該国の国内オリンピック委員会(NOC)の決定により、1都市だけが申請できる」とある。