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オバマさん、日本へ
「次は広島で」思い強く

今回はオバマ米大統領を広島に呼ぶプロジェクトの第4弾です。

オバマ大統領が13日に来日しました。14日、東京都内であった演説会にはジュニアライターも記者として参加し、核兵器廃絶への思いなどを肉声で聴きました。

オバマ大統領は記者会見で「広島・長崎を訪れることは名誉なこと」と被爆地訪問に対し、前向きとも取れる発言をしました。一方で「すぐに訪れる予定はない」とも言っています。

演説を聴いたり、記者会見をテレビで見たりしたジュニアライターは、核兵器廃絶のための重要な一歩としてあらためてオバマ大統領を広島に呼ぶ意義を感じました。

過去に広島を訪れた米大統領経験者についても調べました。広島でのメッセージを紹介します。


核兵器がどんなものか、日米両国が世界で一番よく分かっており、共に核兵器のない未来を追求しなければならない。
核兵器が存在する限り、日韓を含む同盟国に対し、強力で効果的な核抑止力を提供することを約束する。
核保有国は核軍縮に向け動く責任。非核保有国は核兵器を持ち続けないでいる責任がある。
世界的な核不拡散体制強化は一つの国では不可能で、イランや北朝鮮を含むすべての国に責任がある。
(演説要旨より抜粋)
アジア政策について演説するオバマ大統領=14日、東京都港区のサントリーホール(代表撮影)


演説
ジュニアライター古川さん取材
 力強い話し方/核廃絶具体論は

オバマ米大統領が初来日しました。過密スケジュールの中で14日、東京都港区のサントリーホールで開かれた演説会を報道陣約100人に交じって取材しました。

開場30分前の午前7時半、入り口は招待客や報道関係者であふれていました。テレビカメラを抱えている人が多く、緊張しました。8時5分、記者の受け付けが始まり、空港にあるような金属探知機の下を通りました。大きなかばんを持っていた記者は、警備員にかばんの中の荷物を一つ一つ写真に撮られていました。

記者席はステージ正面の2階。演壇から50メートル以上離れていましたが、はっきり見えました。後ろに日米の国旗が7本ずつ交互に並んでいます。私服警官やスタッフが客席を監視しています。

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左から時計回りに、記者席で演説を待つ古川さん、田上長崎市長に感想を聞く古川さん、開場前に入り口付近に集まった招待客や報道陣

記者席最前列にはテレビカメラが設置され、記者がたくさんいました。機材の確認や会場風景の取材に忙しそうでした。9時を過ぎると、会場はどんどん埋まりました。待ち時間にオーケストラの演奏がありました。終わると、いよいよ大統領の演説が始まるという緊張感に包まれました。

10時5分すぎ、大統領が現れました。招待客は立ち上がって迎えました。大統領が「ここに来られたことがとても名誉だ」と話し始めると大きな拍手が起こりました。声は低く、良く響きました。力強い話し方でした。日本との友好関係の大切さや核兵器廃絶への誓い、平和な社会をつくるための国際協力の大切さを話すたびに拍手がわきました。特に大きかったのは、アジア太平洋国家としてアジアへの積極的なかかわりを誓った時でした。

アジアの国々と協力して環境や経済などの問題に取り組むことをとても大事だと考えていることが伝わりました。

核兵器廃絶の重大さにも触れました。核兵器のある世界は決して平和になれないので、米国も含め核兵器を減らすことに取り組まなければいけないと話しました。うれしかったです。でも広島・長崎訪問について触れなかったのは残念でした。どう核兵器を廃絶していくのか、もっと具体的に話してほしかったです。

演説が終わると、観客は再び立ち上がり、拍手をしました。大統領は笑顔で応えながら、ゆっくりとステージから去りました。いつの日か広島で、この姿をもう一度見たいと感じました。

外では、東国原英夫宮崎県知事や社民党党首の福島瑞穂さんたちが記者に囲まれていました。

田上富久長崎市長に感想を聞くと「核兵器廃絶の鍵となる国際的な信頼を強調してくれたのでうれしかった」と話していました。ジュニアライターが読者から集めた手紙を大統領に送ったことには「みんなが声を出すのはいいこと。大統領は早く来てほしい」と笑顔で答えてくれました。

(高2・古川聖良)


会見  被爆地訪問 本気感じた/原爆の質問 答えず残念

オバマ大統領の記者会見をテレビで見ました。大統領は「広島と長崎を訪れることが出来たら非常に名誉なことだ」と話しました。「被爆地を訪れたい」という気持ちが伝わってきました。

一方で「すぐに訪問する予定はない」とも言いました。治安が悪化するアフガニスタンや経済問題など、取り組まなければならない課題があるからだと感じました。

被爆地訪問が実現すれば世界的にも注目が集まり、核兵器の恐ろしさをもっと多くの人に伝えることができるはずです。悲惨さを伝えることが核兵器廃絶への近道だと思うので、早く訪問が実現してほしいです。

原爆投下は正しかったかという質問には、答えませんでした。残念でした。米国の世論を意識したのでしょうか。

「核兵器がある限り、同盟国を守るために核抑止力を維持する」という発言は分からないではありません。しかし、核兵器は、あってはいけないものです。なくす努力こそ求められています。

そのために日本は、米国を含む核保有国に核兵器廃絶を訴えていくべきです。被爆国として世界中の核兵器をゼロにする責任と役割があります。

(高1・岩田皆子、中2・坂田弥優)


大統領経験者は2人訪問

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カーター氏→アピールを発表
 ニクソン氏→平和公園訪れる

米国の大統領経験者で広島を訪れた人が2人います。ジミー・カーター氏=写真左(UPI=共同)とリチャード・ニクソン氏=同右(ロイター=共同)です。任期中に訪れた人はまだいません。

カーター氏は大統領を退任して3年後の1984年5月25日、妻と長女を伴って平和記念公園(広島市中区)を訪れました。

原爆資料館を見学し、慰霊碑に花をささげました。資料館では、展示されているパノラマ模型や当時の様子を再現した人形などをみけんにしわを寄せながら見ていたそうです。資料館の芳名録には「この記念館は平和とよりよい理解に向けての努力を永遠に思い起こさせるものでなければならない」と記し、見学後、「ヒロシマの教訓は決して忘れてはならない」などとした平和アピールを発表しました。

ニクソン氏の広島訪問は、37代大統領になる5年前の1964年4月11日です。東南アジアと日本各地を旅行中に立ち寄ったそうです。平和記念公園を訪れ、「私にとってヒロシマはいままで単に都市の名前にしかすぎなかったが、市民に接して生きた思い出となる。ヒロシマは一つの時代を終わらせ、平和への約束をもたせている町だ」と印象を語っています。

(中3・大友葵、中2井口優香)