いろんな国・地域の子どもが平和について話し合う「世界子どもサミット」を広島で―。ジュニアライターの提案が実現に向かって動きだしています。時期などはまだ決まっていませんが、より内容のある会議になることを願っています。
そこで国内外の子どもが参加した国際会議などを調べてみました。
テーマは環境、社会問題、文化の違いを超えた交流など、さまざまです。子どもたちも考え、解決のために知恵を絞っています。「この世界を変えたい」「未来のためにこうしてほしい」。大人に意見をぶつける子どもがいました。会議を陰で支える大人の苦労や工夫、準備の大切さも知りました。
これらの会議を参考に、近い将来被爆地で開かれるサミットが成功するにはどうしたらいいか、皆さんも考えてみませんか。
ユーロスコラ (フランス) |
05年参加の佐伯さんに聞く |
厚かった「言葉の壁」事前情報も不足 |
欧州議会は1990年から毎年、高校生が集まる会議をフランスで開いています。会議名のユーロスコラとはヨーロッパと学校を組み合わせた造語です。欧州連合(EU)に加盟する27カ国にある欧州議会の事務所から推薦された生徒が参加します。毎年、民主主義や環境、社会問題などテーマを変えて話し合います。 第二次世界大戦の終戦60周年だった2005年は「平和」がテーマになりました。当時のEU加盟25カ国約700人に加え、被爆地を代表して舟入高(広島市中区)国際コミュニケーションコースの生徒39人も招かれました。 当時2年生だった広島市立大2年の佐伯玲実さん(20)によると、会議は大きな議場を舞台に「世界平和のための欧州」「平和に奉仕する若者」など5つの議題について話し合いました。まず各国の代表者が発言し、その後は参加者全員が自由に討論したそうです。 佐伯さんは「広島の被害を訴えるだけではなく誠実に加害の歴史もきちんと若者が継承していかなければいけない」と話しました。拍手が起こり、共感を得られたと感じたそうです。 自由討論では欧州の生徒が真剣に話し合い、次々に手が挙がる様子に刺激を受けるなど、海外でのイベントに参加する意味は大きかったと教えてもらいました。 しかし問題点もあったと振り返ります。 まず「言語の壁」がありました。会議は英語やドイツ語、フランス語などそれぞれの母国語で進行し、同時通訳されましたが、日本語はありませんでした。英語では発言をすべては理解できず、自分の意見も伝えきれなかったそうです。 次に、事前の情報提供が不足していました。例えば、会議当日に5つの議題を知らされ、昼休みなどに英語での発表をまとめなければいけませんでした。また、会議で訴えようと、半年以上かけて準備した原爆に関する発表もできないことが分かりました。急きょ別室を借り、高校生ではなく一般の見学者に向けて発表しました。 広島でサミットが開かれるときには「この2つに十分注意すれば、海外の参加者も発言しやすいし、成果も生まれると思う」と話します。 会議に参加したことをきっかけに、フランスの参加高校と舟入高の交流が始まりました。今でもお互いの修学旅行などで行き来しているそうです。(高2・串岡理紗) |
子ども環境サミット (神 戸) |
発案の大森さんに聞く |
国際化のきっかけに政府協力少なく |
5月、神戸市でありました。主要国(G8)環境相会合が開かれたのに合わせ、21の国・地域の8歳から15歳まで69人が地球温暖化対策について話し合いました。 3日間で、各国の状況や、自分たちの取り組みを報告しました。「環境のためにできることは何か」とグループ討論もしました。大学生ボランティアが議論の手助けをし、通訳としても活躍しました。最後に「KOBE子ども環境メッセージ」として解決案と大人への協力を求める6つの文章を作りました。開催のきっかけになったのは地元市民の声でした。環境省や兵庫県を含め実行委員会をつくりました。発案した、実行委員長代理の大森繁夫さん(60)によると、準備は2007年6月から始まり、本番まで1年弱という強行スケジュールでした。その間に参加者を募って決定し、流れを考えるなどやることがたくさんあり忙しかったそうです。海外の39人も含め参加者は環境に関する作文で選びました。また大人の考えたプログラムに子どもがついてくるか、海外から来た子どもが安心してサミットに参加できるかという不安もあったそうです。会議の司会も高校生が担当するなど、大人は手出しをしないよう気をつけました。来年もG8に合わせ、開催国のイタリアで開きたいという声が出ているそうです。大森さんは「これからの世界を担うのは子どもたち。今からその自覚を持ち、国際社会へのステップとしてほしい」と話していました。 課題としては、子ども同士の自由な交流の時間が少なく、子どもサミットに対する日本政府の協力が少なかったことなどを挙げていました。(中1・小坂しおり、小6・坂本真子)
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2002年5月、国連児童基金(ユニセフ)が、子どものために何をするのかを話し合う国連子ども特別総会で世界のリーダーに訴えるメッセージを作ろうと、3日間開きました。ニューヨークに154カ国の404人が集まりました。 参加者は学校や非政府組織(NGO)での活動などを通じて、選ばれました。児童虐待や貧困、エイズなどについて学び、自分たちがどのような世界で暮らしたいかを話し合いました。 その結論を「戦争をなくす」「子どもの権利を尊重してほしい」などの宣言にまとめ、代表2人が特別総会で首脳や政府高官らに直接、訴えました。 ユニセフによると、その後、約50カ国が子どもの権利のための国内行動計画を作るなど、子どもの人権に対する意識が高まっているそうです。 また、5年後の07年にも再び会議を開き、世界がどう変わったのか、どのような努力が必要かなどを再度議論しました。一度だけの会議で終わらせないところがいいと感じました。(小6・坂本真子)
欧州のセルビアで8月に開かれました。9日間のサミットに22カ国から84人が参加しました。日本からは8歳から18歳までが取材活動をする「チルドレンズ・エクスプレス」の記者2人が参加しました。 このサミットは米中枢同時テロをきっかけに、米国人教師らがメディアを通じて文化を超えた交流をし、未来に向けて若者の声を発信させようと呼び掛けました。2006年からメディアに携わる教師や非政府組織(NGO)が実行委員会をつくり、開いています。今回は3回目で毎年、開催国は違います。 参加者は、貧困や人種差別など七つの社会問題について、グループに分かれて話し合います。現状を告発し解決策を訴えるためには、どういう映像が効果的かを考えます。そしてシナリオを作り、撮影し、約1分間の映像にまとめます。映像は、せりふがなく、音楽や効果音で構成されています。言葉の壁を越えたメッセージが印象的です。議論の結果を一つの作品にすることで達成感と協調が生まれるそうです。(高2・串岡理紗)
国連環境計画(UNEP)が1995年から2年に一度開いています。子どもたちに興味を持ってもらう目的です。今年はノルウェーであり、日本やロシア、エジプトなど105カ国の10歳から14歳までの700人が参加しました。 4日間にわたり、エネルギーや水問題について学んだほか、約25人ずつのグループに分かれ、「環境のために自分たちができること」も議論しました。 参加者は環境活動の経験をもとに学校推薦などで選ばれます。会議の終わりには投票で12人を選び、その人たちは次回も準備段階からかかわります。このため、会場設定やプログラムなどの内容に子どもの視点が反映されることになります。 帰国後の活動は子ども環境会議のホームページ掲示板に投稿します。また、会議の成果を終了後の記者会見で発表したり、世界のリーダーたちに請願したりして子どものメッセージを広めています。(高1・古川聖良)
国連児童基金(ユニセフ)と外務省が7月、北海道千歳市で開催しました。主要国首脳会議(北海道洞爺湖サミット)の関連イベントで、議論の結果は「千歳宣言」として参加国首脳に手渡しました。子どもにできる「アクションプラン」をまとめ、参加者が学校などで同世代に呼び掛ける点はユニークだと感じました。 15カ国の14歳から17歳の39人が、「気候変動」「貧困と開発」「国際保健」の3つの大きなテーマについて各1日、意見発表をし、議論を重ねました。日本代表として参加した栗脇志郎さん(17)=東京都=は「スケジュールぎっしりの中で、宣言を作りあげたことに達成感があった」と話します。 サミットは8日間ありましたが、話し合いは共同宣言作りを含め計4日間で、そのほかの日は交流や観光にあてました。栗脇さんは「議論にもう少し時間をかけたかった」と振り返ります。しかし海外の同世代との真剣な議論を通じて、世界で起こっている問題に対し自分たちが行動を起こさなければならないという義務感が強まった、と教えてもらいました。(中3・高田翔太郎)
2005年8月、愛知万博(愛・地球博)に合わせ愛知県瀬戸市で開かれました。日本に住むアフリカ出身者や全国の小中学校10校の代表など計28人が参加しました。 2日間にわたってアフリカの紛争や貧困などの問題を調べて発表したり、現地の民話を全国で朗読した成果を発表したりしました。 アフリカへの理解を深めるための市民プロジェクトの一環でした。 プロジェクトを発案した実行委員会副代表の山崎瑛莉さん(26)は「アフリカの魅力に触れ、現在起きている問題を理解してもらうきっかけになった」と話します。 反省点としては参加校の代表としか話せず、その背後にいる何百人もの子どもたちと交流できなかったことや、現地の同世代の話が聞けなかったことがあったそうです。(中3・松田竜大) |