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世界の平和切手〜ピカ研資料から
   国境超え心つなぐ「外交官」


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届いた手紙の切手に、目を引かれた経験はありませんか。小さな存在ですが、国境を超えて人と人の心をつなぐ「外交官」でもあります。その色とりどりのデザインには、いろんなメッセージが込められています。


各国の平和に関する切手を手に入れ、調査している「ピカ資料研究所」代表のせせらぎ了さんに、その貴重な資料を見せてもらいました。せせらぎさんは、日本が占領されていた時代(1945―52年)を中心に、原子爆弾の被害に関する資料などを50年以上も研究しています。


核兵器廃絶をうたった北朝鮮の切手をはじめ、きのこ雲をあしらった旧チェコスロバキアの切手などを見て、ジュニアライターはその解説に聞き入りました。


Photo

せせらぎさん(手前右)に実物の切手を見せてもらうジュニアライター(撮影・中3古川聖良)
せせらぎさんのワークショップ





 50万−60万種類 これまで発行


世界で最初に切手をつくったのは英国で、1840年のことです。「切手の博物館」(東京)によると、世界中ではこれまで50万―60万種類の切手が発行されており、今でも年に1万種類以上の切手が生まれています。

切手が導入される前の英国では、郵便料金は受け取る人が支払う後払い制でした。せせらぎさんは「切手は郵便物を出す人がお金を払うので、気兼ねなく手紙が出せるようになり、やりとりが活発になった」とその意義を説明します。日本では、1871年(明治4年)に最初の切手が出ています。

普及するにつれ、いろんなデザインの切手が出るようになりました。

見せてもらった各国の切手には、きのこ雲に「×」を付けたり、爆弾を握りつぶす図柄もありました。せせらぎさんは「小さな切手の絵を通じて、意見を表すようになった。人類の知恵だ」と考えています。こういった切手が届くと、受け取る人にも原爆はいけない、と強く訴えることができると感じました。

またせせらぎさんに、ハトを使ったデザインも紹介してもらいました。

1950年に東ドイツで発行された切手は、手前にいるハトと向こうにあるきのこ雲や爆弾とを、人の手がさえぎっています。ほかにも、インドや南米のウルグアイでも平和を願う切手にハトが登場します。

「平和」といえば「ハト」というイメージは、旧約聖書の影響が大きいそうです。創世記に、大洪水となった後、ノアの方舟から放たれたハトが、オリーブの葉をくわえてもどってきた話があります。陸地があることを教えた、つまり、人類に幸福を届けたということで、平和を運ぶシンボルになったと教えてもらいました。(中3・小出彩乃)

 

 ガーナ・1962年 原爆の恐怖 色でも表現
 

西アフリカにあるガーナの首都アクラで1962年に民間人国際軍縮会議が開かれたのを記念し発行された切手は、3枚セットです。そのうちの1枚、きのこ雲が骸骨の形をしている切手は、背景が黒みがかった赤で、原爆の恐ろしさを色からも感じさせます。

この会議には、当時の浜井信三広島市長が出席し「核戦争は全人類の自殺にほかならない」と警告したそうです。(高2・土江綾)

 

 ガボン・1967年 原子力の平和利用訴え
 

アフリカ中部にあるガボンには原子力の平和利用を目的として設立された国際原子力機関(IAEA)をテーマにした切手があります。1967年発行です。地球の上には、飛び立つハトと、IAEAのマークが描かれています。

一見、ハトとは関係ないようですが、原子力と平和の象徴を結びつけることで、平和利用の重要性を訴えようとしているのだと感じました。(高2・土江綾)


 

 旧チェコスロバキア・1969年 苦しむ人たち生々しく
 

東欧にあった旧チェコスロバキアが1969年に発行した「平和運動20年」切手は、きのこ雲や戦争で傷ついた人たちを描いています。

血に染まった地面の上に、生々しい死体やがれきが描かれ、人間や馬の苦しみもがく姿があります。その奥ではきのこ雲が上っています。せせらぎさんは「ピカソの『ゲルニカ』のような強いメッセージ性がある」と指摘していました。(高2・土江綾)


 

 ブルガリア・1982年 きのこ雲に強く「NO」
 

東欧ブルガリアは1982年、反核運動をアピールするために、きのこ雲を使った切手を発行しています。紺色のきのこ雲の「かさ」の部分には赤字で「NO!」と、核兵器への反対の意思をはっきりと示しています。

せせらぎさんに、きのこ雲や核兵器に「×」を書いて反対を表現している切手も見せてもらいましたが、「NO」と言葉で訴える方が意思が込められると感じました。(高1・小林大志)


 

 キューバ・1979年 爆弾握りつぶすこぶし
 

中米のキューバは1979年に「世界平和会議30年記念」の切手を発行しています。いろいろな人種を表現する5色の握りこぶしが高々と上がっています。せせらぎさんによると、爆弾を握りつぶし、平和の象徴のハトを空に放っている様子だそうです。

手を使ったこのデザインは、力を合わせて平和な世界を実現しようという意思をよく表現していると思います。(高1・小林大志)


 

 北朝鮮・1988年(左)69年(右) 核廃絶を訴えた時代も
 

北朝鮮で発行された、第13回世界青年学生祭(1988年)の記念切手は、原爆を意味するAと描かれた爆弾がポキンと折れ、英文で「核兵器のない新しい世界をつくろう」とメッセージが書いてあります。一昨年に核実験をした国なので興味深かったです。

69年に「アメリカ帝国主義に反対するジャーナリストの国際会議」を記念して発行された切手は、落ちていく当時のニクソン米大統領に5本のペンが襲いかかり、下では米国国旗がぼろぼろになっていることを教えてもらいました。(高2・小林大志)


 

 旧北ベトナム・1967年 中国の水爆実験を祝う
 

1967年に、中国が初の水爆実験に成功したのを祝う切手が、旧北ベトナムで発行されました。ハトが祝い事に使うちょうちんをくわえて飛んでいます。ちょうちんには水爆を表す「H」の文字があり、水爆実験の日が記されています。

せせらぎさんに「ベトナム戦争で中国の支援を受けたから」と当時の時代背景を説明してもらいました。核実験を祝うなんて信じられません。(高1・小林大志)


 

 ピカソの絵も切手化 「平和の象徴」ハト印象づけ
 



「ゲルニカ」など平和を訴える作品で有名なパブロ・ピカソ(1881―1973)の絵は、切手にもなっています。せせらぎさんは、ピカソが1949年にパリで開かれた国際平和擁護会議のポスターに、ハトを描いたことで、いっそうハトが平和の象徴であるという印象が、世界中に広まったと言います。

中国で1950年に発行された「平和を守れ切手」シリーズは、立った白いハトと、その下にオリーブの葉が描かれています=写真上。ピカソが44年に共産党に入党したのが縁で中国はその作品を多用したのだと説明してもらいました。

同じシリーズの51年と53年の切手はどちらも、ハトが羽ばたいています。52年は「アジア・太平洋地域平和会議」の記念切手です。空を飛ぶハトと地球の周りを飛ぶハトの2種類があります。

ハト以外に「ゲルニカ」(37年)も切手になりました=同下。ドイツの爆撃により、一般市民が大量に殺されたことにショックを受け、ピカソが描いたとされる有名な絵(壁画)です。母国スペインで、81年に発行されました。(小6・坂本真子)



 【注】郵便切手類模造等取締法に基づき、切手に斜線を入れています。

 

なるほどキーワード

  • ピカ資料研究所(竹原市)

    1952年から占領下の原爆文献を中心に、単行本や雑誌、パンフレットなどを集め、調査研究を続けている。その貴重な資料は国立国会図書館などからも照会があるほど。73年には、文献資料3159点を広島市に譲渡した。研究の成果は「原爆被災資料総目録」(これまで4集発行)など多く発表されている。