2003年5月にイラク戦争の戦闘終結宣言がされ、5年が過ぎました。今年3月までイラクに計6回入国し、取材を重ねているフリージャーナリスト西谷文和さん(47)に、現地の映像を見せてもらい、話を聞きました。ニュースなどで目にすることは減っても、悲劇は依然として続いていることを知りました。
劣化ウラン弾の影響とみられるがんに侵された子ども。今もテロや不発弾で傷つく子ども…。早々と終結宣言はされましたが戦闘状態は続き、同世代の子どもはもちろん、現地の人たちはなお苦しんでいます。その現実をとらえた西谷さんの映像は、航空自衛隊のイラクでの空輸活動を「違憲」と判断した、名古屋高裁の裁判で証拠に採用されています。
1960年京都市生まれ。85年に大阪市立大卒業後、大阪府吹田市職員に。2004年に退職し、フリージャーナリストとして、イラクやアフガニスタンなどの紛争地を取材する一方、非政府組織(NGO)「イラクの子どもを救う会」代表を務める。「イラク 放射能を浴びる子どもたち」(04年8月)「イラク 戦場からの告発」(07年7月)の2つのDVDなどを発売している。吹田市在住。
劣化ウラン弾にクラスター爆弾。深いつめ跡
イラク取材を続けるフリージャーナリスト西谷文和さんが撮影した映像には、劣化ウラン弾が影響したとみられるがんの子どもや、内戦による自爆テロの被害者が記録されていました。その家族たちが現実を伝えてほしいとカメラに向かって訴える姿が印象的でした。
西谷さんによると、劣化ウラン弾はイラク戦争で2000トン以上が使われました。爆発すると空気中に放射能を帯びた微粒子が拡散します。戦後、白血病やがんになった子どもたちが増えました。
西谷さんが作ったDVD「イラク 戦場からの告発」などには、左の首筋に首と同じほどの太さにふくれあがった腫瘍(しゅよう)がある男の子や、背中に頭くらいの大きさの腫瘍ができた赤ちゃんが出てきます。最も劣化ウラン弾が使われた南部の都市バスラでは、一つの病院だけで、1年間に5000人もの子どもが亡くなっているそうです。
また、胎内にいる時に被爆し、身体に障害がある赤ちゃんが多く生まれています。米国は認めていませんが、西谷さんは、劣化ウラン弾が原因だと考えています。
イラク北部スレイマニアの難民キャンプにいた親子。母親に抱かれている子は、米軍の空爆後、脳に障害が出たという=3月18日(西谷さん撮影) |
クラスター爆弾も子どもたちに深刻な被害を与えています。「親爆弾」の中から、500ー600個の「子爆弾」が飛び出して爆発する仕組みで、子爆弾の約1割は不発弾になります。遊んでいる子どもが不発弾をけってしまい、手や足を失う事故も相次いでいます。
北東部のハラブジャという都市は「イラクのヒロシマ」と呼ばれているそうです。1988年3月にフセイン政権が少数民族のクルド人に毒ガスで攻撃し、5000人が亡くなりました。大量破壊兵器の被害にあったためそういわれています。イラクでは米国と敵対していたフセイン政権時代に原爆被害について教育がされており、ヒロシマの知名度は高いのです。また大きな被害から復興を遂げたことで、あこがれでもあるそうです。
私たちはハラブジャの名前を聞いたのも初めてで、イラクの現実についても人ごとのように感じていました。イラク人はヒロシマを知っているのに、私たちはイラクを知りません。私たちは、もっとイラクに目を向け続ける必要があると思いました。(高3・岡田莉佳子、高2・立川奈緒)
イラク 戦場からの告発 |
西谷さんのワークショップの様子 |
東京外語大教授の酒井啓子さん(49)=イラク政治史=に、イラク戦争やその後の内戦の背景を聞きました。2001年9月11日の米中枢同時テロにより、米国が中東政策を転換したことが大きいと話しています。
テロ以前の米国は、軍事力で米国寄りの政権をつくるには、軍事費などのマイナスが大きいと考え、各国の政治手法に口出ししませんでした。
しかし、テロを受けたことで政策を変え、二度とテロを起こさせないよう、フセイン政権など反米的な国々に圧力をかけるようになりました。「テロへの報復としてアフガニスタンでした軍事作戦がスムーズに進み、イラクでも同じようにいくという甘い予測もあった」と指摘します。
現在のイラク政権の中枢には、フセイン政権時代にイランへ亡命していた人たちがいます。米軍の力を借りて権力の座についたということで、イランや米国の影響を嫌う勢力との対立が、内戦へとつながりました。
酒井さんは戦闘状態を止める方法を「米軍が一度、イラクから撤退し、外国の影響を排除した上で、イラク人だけで国の将来を話し合う機会をつくるべきだ」と話していました。(中2・大友葵)
配給された食料を受け取り、笑顔を見せるバスラの人たち=4月20日(JIM―NET提供) |
イラクでは、医療や教育の分野で日本の支援団体が活躍しています。各団体は、治安が悪いため日本人スタッフがヨルダンなど隣国にいて、現地のイラク人スタッフと連携しています。
医療支援に取り組む5つの非政府組織(NGO)や企業など8団体でつくる日本イラク医療支援ネットワーク(JIM―NET、長野県松本市)は、首都バグダッドなどの病院に院内学級を設置しています。佐藤真紀事務局長(46)に、バスラで先生から聞いた女の子の話を聞かせてもらいました。
彼女は12歳だった3年前、がんができた右目を取り出しました。しかし昨年3月、転移が見つかり「どうせ死ぬならつらい治療はしたくない」と病院に来なくなったそうです。その先生は家を訪ね、彼女のおかげで薬が届いたことを話しました。日本で開いたキャンペーンで、彼女の描いたパッケージが人気を集め、多くの人がチョコレートを買ったからです。自分の絵が人のためになったことを知り、がんと闘うため病院へ戻ってきました。さまざまなところで日本の支援が生きています。
またNGOピースウィンズ・ジャパン(PWJ、東京)は、難民キャンプで職業訓練などをしています。
北部のクルド人自治区との境界地域にある難民キャンプで、左官や理容師になれるよう技術を教えています。また今年はハラブジャで、母親と新生児のための病院建設もします。
認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)ジェン(JEN、東京)は、バグダッドで小中学校の修復をしています。開戦直後は、ヨルダン国境の難民キャンプで診療所を作って診察をしました。(高1・見越正礼、中2・山本真実)
大量破壊兵器開発疑惑などを理由に米英両国が2003年3月、国連安保理決議なしでイラクに先制攻撃した。5月の戦闘終結宣言後も、イスラム教シーア派とスンニ派の内戦や米兵を狙ったテロ、イラク政府の治安部隊と民兵の衝突などが続く。開戦以来の犠牲者は米軍関係者4074人(5月9日現在、米国防総省調べ)。イラクでの民間人は少なくとも8万3000人(3月22日現在、NGOイラク・ボディー・カウント調べ)に上る。
核燃料にする天然ウランを濃縮するときにできる「劣化ウラン」を使った砲弾。鉄や鉛より比重が重いため、戦車でも貫く。戦車に命中した際の熱で、酸化ウランが微粒子となって飛び散るため、体内に取り込まれた放射線などによる健康被害が懸念されている。1991年の湾岸戦争で初めて使われた。