タイのミャンマー難民キャンプ内の学校で、授業を受ける子ども(UNHCR提供) |
暴力などに巻き込まれそうになったとき「逃げる」という方法があります。自分自身を守るためであり、恥ずかしい選択ではありません。同じように民族間や宗教的な対立などから自分や家族に危険が迫り、国境を越えて逃れる人がいます。その集団は「難民」と呼ばれ、世界には約1000万人、日本国内にも約1万人がいます。
想像してみてください。家や持ち物などを捨て、命からがら逃げてきた先で「家に帰って」「うちにいてもらっては困る」と言われると、その人はどんな気持ちになるでしょうか。
今回、日本に来たものの政府から在留許可をもらえず、強制送還の不安が消えないアフガニスタン人にインタビューしました。身近にある国際問題を考えてみませんか。
世界に1000万人 アフガン出身が最多210万人/日本の認定数 06年わずか34人 |
難民の支援をする国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所副代表の岸守一さん(43)=福山市出身=に、現状を聞きました。
難民について、難民条約は人種や宗教などを理由に迫害を受けたり、その恐れがあったりして国外に逃れた人、などと定義しています。
タンザニアのキャンプで、水くみをするブルンジ難民の子ども(UNHCR提供) |
2007年1月現在、世界で約1000万人います。このほか国外に逃げられない「国内避難民」約1300万人、本国に帰ったものの生活基盤がない「帰還民」約260万人などを含め、UNHCRの支援対象は計3300万人にのぼります。
同月現在、難民の出身国で最も多いのは、アフガニスタンで約210万人です。イラクは約145万人で、現在も急激に増え続けているそうです。イラク戦争から続く宗派の対立や治安の悪化が原因とみられます。アジア以外では、スーダンに約69万人いるなど、アフリカも多くの難民が出ています。
日本に難民が来たのは1975年からです。政治が混乱していたインドシナ半島のベトナム、ラオス、カンボジアからで、この3カ国出身者は現在も約1万人いるそうです。これとは別に81年に加入した難民条約で、2006年までトルコやミャンマーなどの約4900人が申請。410人が認定されました。
難民として日本に認められれば、定住する資格が受けやすくなります。本国に送り返されるおそれがなくなるほか、生活保護なども受けることができます。申請中の人も生活費や家賃の補助を受けることができます。
数千人単位で難民認定をする欧米に比べ、日本は06年に34人しか認定されませんでした。地理的条件や言葉の問題もあり、申請自体がこの年約1000人と少ないのです。認定者の数は04年に入管難民法が改正され、来日後60日以内に申請しなければいけない条文が撤廃されてからは、これでも増える傾向にあり、前向きに評価しています。(高1・串岡理紗)
タリバンの迫害から、身一つで逃げてきた
証明できず厳しい生活。妻に子に会いたい
アフガニスタンや日本での体験を語るホダダッドさん=右(撮影・高2岡田莉佳子) |
アフガニスタン人のホダダッドさん(48)=大阪府東大阪市=に話を聞きました。難民として認められるよう10年近く訴え続けています。
ホダダッドさんら少数民族のハザラ人は1998年当時、タリバン政権にイスラム教の宗派の違いから攻撃対象にされていました。住んでいた首都カブールから北部のマザリシャリフに逃れましたが、そこも攻められました。パキスタンに一時避難しこの年の9月、仕事で訪れたことのある日本に来ました。
アフガニスタン出国の直前、6000人殺されたとも言われるマザリシャリフの大虐殺がありました。お兄さん1人が犠牲になり、2人は行方不明です。
日本に着いてからも苦労の連続です。難民認定には、迫害を受けた証拠がいりますが、すべてを捨てて来たため証明ができません。認定されないとビザもなく、生活保護も受けられません。異議を申し立てましたが、米中枢同時テロ(2001年)で「テロリストをかくまった可能性のある国」の出身者として、認められませんでした。
その後、不法滞在者として収容され、退去強制処分の通知も受けました。裁判を起こしましたが処分は取り消されませんでした。現在2度目の異議申し立て中です。
アフガニスタンは新政府ができていますが「今も自爆テロが多く、治安が悪いので帰れない」と言います。現在は一時的に収容施設から出ることが許されていますが、大阪府内から出ることはできません。パキスタンで暮らす妻と21―13歳の子ども5人には10年間会っていませんが、認定されない限り、呼び寄せることもできません。
「日本は難民にとてもつめたい」と嘆きます。もっと多くの人に自分たちの問題を知ってもらって、「政府に支援をお願いしてほしい」と訴えています。(中1・大友葵)
ホダダッドさんのインタビューの様子です |
各国の難民キャンプで現地の支援体制づくりをしてきた、特定非営利活動法人(NPO法人)ジャパン・プラットフォーム(東京都)代表理事の長有紀枝さん(44)に広島市で課題などについて聞きました。 カンボジアやアフガニスタンなどでの多くの現場経験から、問題は支援物資の使われ方だと指摘しています。 例えば粉ミルクを、きれいな水や容器がないために泥水で作り、飲んだ赤ちゃんが亡くなったことがありました。せっかくの善意が逆効果になることもあるのです。 そのほか特定の物資が集中することも大きな問題だそうです。「年齢構成などから何が必要か計画し、調整することが必要」だと強く訴えていました。キャンプは狭い地域に多くの人が暮らしているため火事や病気の感染は特に注意しています。 私たちにできることは「遠いところで実際に起きていることをまず知り、現場を想像すること」と話していました。(高2・岡田莉佳子)
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)駐日事務所(東京)と一緒に難民問題を考えていた大学生、大学院生が2007年6月、「UNHCRユース」を作りました。現在、関東地方で130人、関西地方40人が登録し、メールを通じた情報交換などをしています。 昨年11月には、東京都で170人がパレード「表参道ジャック」をしました。難民問題のクイズも配り、スタンプラリー形式で答えてもらいました。関心を高めると同時に、難民の暗いイメージを変えたいという思いからです。勉強会も続けています。 今年は、難民キャンプを訪れる計画もあります。メンバーの小尾絵生(おび・かい)さん(20)=早稲田大=は「同年代の人と交流して、私たち若い世代でできることは何かを見つけたい」と話してくれました。(中2・坂田悠綺)
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日本と関係の薄い問題だと思っていましたが、1万人もいることや、難民と認めてもらえないケースがあると知って、より関心を高める必要を感じています。
取材した人の多くから聞いたのは「無関心が一番良くない」という言葉です。難民認定が少ない日本の姿勢は「あくまでも国民の意思を反映している」(長有紀枝さん)ので、もっと一人一人が関心を高め、難民に対する国の政策を動かすことが必要です。
日本にいる難民と、伝統技術やスポーツを通じた交流イベントも開かれています。郷土料理を教わるなどして、その国の文化を知ることも難民について考えることになると思います。(中3・見越正礼、中2・松田竜大)