世界では地雷によって、今なお1日平均40人以上が傷つき、亡くなっています。家の近くで遊んでいて、傷ついた子がいます。自分が生まれる前に埋められた地雷で死んだ子もいます。青空の下で自由に走り回ることができない子がいます。
90カ国・地域の1400以上の団体が加盟する地雷禁止国際キャンペーン(ICBL)の推計によると、2001年以前には年間2万6000人がその被害に遭(あ)っていました。各国の民間団体などが進める地道な地雷除去の活動で、被害に遭う人の数はこれでも減ってきているのです。
今年は、対人地雷全面禁止条約の調印10年の節目の年です。今回、ジュニアライターたちはカンボジアで被害に遭った女性とテレビ会議を通じて交流しました。今も被害が続く国について調べ、子どもたちが一緒に何ができるのかを考えました。遠い国のことがぐっと身近な問題になりました。そして活動を始めることを決意しました。
右の写真は英国の非政府組織(NGO)によりアンゴラで除去された、いろんな種類の地雷。地雷は「対戦車地雷」と「対人地雷」に大きく分類される。起爆装置から伸びたワイヤにひっかかると爆発する仕組みのものや、形がおもちゃに似たものなど、その種類は300以上といわれる |
地雷による被害者が出ている場所を調べました。ICBLによると、2005年から06年にかけて65の国や地域で死傷者が出ていました。アジアやアフリカが目立ちます。
地雷は米国の南北戦争(1861―65年)で初めて使われたとされ、これまでに多くの死傷者を出しました。少しデータが古いのですが、1997年の国連資料によると、68カ国に1億1000万個以上の地雷が埋められていると推計されています。実際にはどれだけあるのか分かりません。
ICBLは2006年の報告書で、地雷と、不発弾など紛争後に残される爆発物による年間死傷者数は1万5000から2万人と推計しています。また少なくとも、ミャンマーとネパール、ロシアはいまだに地雷を埋めています。
こうした地雷による問題を打開するために打ち出されたのが、1997年に調印、99年に発効した対人地雷全面禁止条約です。今年3月末現在で日本を含む153カ国が批准(ひじゅん)しています。
しかし、まだ5分の1以上の国が批准していません。(高3・本川裕太郎)
地球上から地雷をなくすにはどうすればいいのか―。内戦が終わって16年たつのに今も地雷による被害が続くカンボジアの大学生ソン・コサルさんは考えました。地雷で右足を失い、9年前から子ども同士の「連帯」を呼び掛けています。首都プノンペンにいる彼女と私たちは、国際協力機構(JICA)の支援で、テレビ会議システムでつながることができました。
1989年、5歳だったソンさんはバッタンバン州でお母さんと薪(まき)を集めているときに被害に遭いました。お兄さんは地雷を踏み、亡くなったそうです。
JICAカンボジア事務所にいるソンさん(画面手前左)と柳沼さん(同右)に、取材するジュニアライター=東広島市のひろしま国際プラザ(撮影・中3見越正礼) |
片足を失い、友達と一緒に遊べないことに落ち込むこともありました。しかし「なぜ私の足が1本ないのかを説明して、これ以上自分と同じ被害者を出したくない」と、12歳のとき、国内外で講演を始めました。対人地雷全面禁止条約の不参加国に参加を求めるなどの活動をしています。
98年には若者が地雷のない世界の実現を誓う署名活動「戦争に反対する若者による条約」を提唱しました。署名を集め、対人地雷全面禁止条約に批准しない国に参加を呼び掛けたのです。現在はクラスター爆弾に対する運動へと広がっています。(高3・新山京子)
カンボジアの地雷対策センター(CMAC)で組織運営のアドバイスなどをしている国際協力機構(JICA)派遣専門家、柳沼亮寿さんに、ソンさんと一緒にテレビ会議を通じて話を聞きました。
CMACは2006年だけで3万6807個の地雷を除去しました。カンボジアの団体による除去面積全体の約52パーセントです。しかしこの国には今も、400万から600万個もの地雷が埋まっていると言われています。「すべて除去するのにあと何年かかるのか分からない」と言います。
今年1月には、地雷除去作業中に一度の事故で7人ものCMACメンバーが亡くなりました。「今後は事故の教訓を作業手順書に盛り込み、あらゆる危険性を回避しなければならない。将来の人のために安全な土地を提供したいというのは地雷除去にかかわるすべての人の願いです」と話していました。(中2・岩田皆子)
テレビ会議の様子を見ることができます。スタートボタンを押してね。
地雷除去にどんな方法があるのか、調べてみました。
金属に反応して音を出す探知機や、火薬のにおいをかぎわける犬などによって埋まっている場所を特定し、手で掘り出す方法が主流だと分かりました。
また、ブルドーザーやパワーショベルなどの大型機械を改良した対人地雷除去機もあります。分銅(ふんどう)を鎖でつないだような装置や、ロータリーカッターと呼ばれる回転する円柱の側面に棒が突き出た装置が地面をたたくことによって、地雷を爆破させて処理していきます。しかし、必ずしも地雷すべてが除去できるわけではありません。
広島県は2005年度、赤外線カメラ、金属探知機などを載せた小型無人ヘリで地雷探知することを考えました。平和貢献の一環として、民間での開発促進を目指したのです。しかし、主に国からの補助金が得られなかったため研究は休止しています。
千葉大大学院工学研究科の野波健蔵教授(制御工学)は、ロボットに探知させようと、研究開発をしています。しかし「メンテナンス技師の養成などさまざまな課題があり、すぐに実用化するのは難しい」と話していました。
「地雷はいらない」。シンプルだけど、メールやテレビ会議を通じた地雷被害に遭った人からのメッセージをとても重く受け止めました。私たちが彼女たちに何かしてあげようという気持ちではなく、彼女たちから平和のために行動を起こす力をもらいました。
地雷廃絶日本キャンペーン(JCBL)によると3月末現在で、地雷を持つ国は34カ国あり、地雷の総保有数は1億5000万個以上と推定されています。日本は03年に一部訓練用を除き、政府保有の対人地雷を廃棄しました。JCBLは、対人地雷全面禁止条約に賛同しない国に参加を呼び掛けるメッセージを送る運動を進めています。「ちょうちょキャンペーン2007」です。
ソンさんとのテレビ会議の中で、私たちも地球上から地雷をなくすために活動を始めることを約束しました。この新聞を読み、一緒にメッセージを送ろうと考えてもらった人はJCBLのホームページ(http://www17.big.or.jp/~r-net/Jirai-Haizetu/cyou-campaign/cyou-sozai-01.htm)にアクセスしてください。私たちも学校で呼び掛けを始めます。(高2・岡田莉佳子)
地雷被害の実態を知りたくて、カンボジアの若者にメールを送りました。コム・リックさん(14)とキム・スレイ・チャーさん(18)です。2人の支援団体の日本人2人と合わせ、その返事を掲載します。
返事によると、被害者は2人とも7歳のときに地雷を踏みました。コムさんは、友達と木の実を手に入れようと登った木から飛び降りて着地したとき。キムさんは薪を集めるため茂みの中から木の枝を引き抜いたときに。その結果、コムさんは右足のひざより下を、キムさんは左足のひざより下をそれぞれ切断する大けがをしました。
同じアジアなのに地雷被害のない日本とこんなに違うということに、とてもショックを受けました。(中3・見越正礼)
地雷により右ひざから下を失ったコム・リックさん(14)。義足をしている(カンボジア地雷撤去キャンペーン提供) |
Q あなたのお名前と生年月日、どこに住んでいるのかを教えてください
A 名前:コム・リック、14歳(1993年生まれ、月日は不明だったが、3月30日に決めた)バンテアイミエチャイの孤児院Enfants du ekongエンファントドゥメコンに住んでいます。実家はバッタンバン州のラタナモンドールです。
Q 地雷の被害に遭ったときに、いくつでしたか。また、何をしているときに被害に遭われたのでしょうか
A 7歳です。2000年(7年前)、4月の初め、近所の友達と一緒に3人で彼の家から30Mほど離れたところにある木の実を見てそれを手にいれようとしました。そしてその木からジャンプして地に足をつけた時に地雷を踏みました。
Q 地雷を踏んだ際、体のどこの部分をけがされたのですか
A 右足膝下を切断、左足の内側を火傷しました。
Q 怪我をしたあとにあなたを最も支えてくれた方はどなたですか。また、あなたが勇気づけられた言葉は何でしたか
A 7年間面倒を見てくれている孤児院のお母さん(他に14人の子どもの世話をしている)です。「障害があるからといってふさぎ込まないで、逆境にめげずにたくさん勉強して人のために尽くしなさい」という言葉です。
Q お友達で、あなたと同じように地雷の被害に遭った方はいらっしゃいますか
A 友達にはいません。でも私の村にはたくさんの被害者がいます。魚を獲るために地雷を使おうとして事故に遭うことが多いです。
Q あなたと同じような地雷被害をなくすためには何が必要だと思いますか
A 地雷がどれだけ危険であるかを人々が知ることです。
Q これまでくじけそうになったことはありますか。いつそのような気持ちになりましたか。また、どうやってそれを乗り越えましたか。
A (無回答)
Q 地雷をなくすために、地雷の被害国とそうでない国の若者が手紙の交換や互いの国の行き来を通じて地雷についての意見を交換すればいいのではないかと考えました。地雷がいかに非人道的な武器かということを、地雷被害のない国の若者も理解できるからです。さらに、交流をした若者が「将来、地雷を絶対に使わないようにしよう」と約束をします。その「約束」が世界中に広がることを願っています。あなたはこれについてどう思われますか。これを実現させるためにどこをもっとよくしたらいいと思われますか。また、他の考えをお持ちであればぜひ教えてください。いっしょに考えましょう
A いい考えだと思います。
Q お名前の読み方、どちらの市町村ご出身か教えていただけませんか
A よしみゆうや、大分市出身です。
Q 現地のどこでどんなお仕事をなさっているのか具体的に教えてください
A カンボジアの中でも特に地雷被害者の多い地域はタイ国境付近ですが、事務所はその近くに位置するバッタンバンという所にあります。現地では、地雷被害者を励まし、住人に地雷の危険性を訴えるラジオ番組「VOICE OF HEART」を制作しています。また、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)が2004年に地雷原の跡地につくった「CMCボップイ安倍小学校」の運営・管理も行っています。その他にも日本の本部と現地の関係団体との連絡調整等を行っています。
Q なぜカンボジアの駐在員になりたいと思われたのですか
A 主な理由は2つあります。ひとつはやはり自分自身の目で地雷被害の現状と地雷被害者の気持ちを把握したかったということです。日本には地雷被害はありません。したがって地雷被害者もいません。しかしカンボジアにはたくさんの地雷被害者がいます。カンボジアで生活をし、彼らの近くに身をおけば、少しでも彼らの本当の気持ちが理解できると思ったのです。
もうひとつは自分を精神的に成長させるためです。カンボジアでは日本での常識が通用しないことが多々あります。そんな状況の中で切磋琢磨し、立ちふさがる壁をいくつも乗り越えれば今以上に素敵な自分になれるだろうと思ったのです(笑)。
Q 駐在する以前から地雷の問題に関心をお持ちだったのでしょうか
A 小さい頃から地雷被害のことは知っていましたが、世界に数ある問題の一つにすぎない、というくらいの認識でした。しかし昨年、カンボジア地雷撤去キャンペーン(CMC)のスタディツアーで初めてカンボジアを訪れ、救急病院で地雷を踏んで片足を失ったばかりの男の子に出会って意識が変わりました。彼の悲しそうな目を見たとき、何もしてやれない自分に腹立たしささえ覚えたのです。そしてそれ以来、地雷被害を一刻も早くなくしたい、そして地雷被害者を救いたい、と強く思うようになり、それに向けて全力を尽くそうと決めました。
Q 地雷の被害に遭った方の気持ちを考えて接するのはご苦労が多いのではないかと思うのですが、どんなことに気を使われましたか
A 地雷の被害に遭われた方は身体だけでなく、心にも大きな傷を負っていることがあります。
身体が以前と比べて不自由になった上に、周囲から差別を受けることがあるからです。そんな被害者の方々からお話を聞くのはすごく難しいです。こちらとしては精一杯励まし、障害者の人生にも希望はあるのだと勇気付けますが、彼らが事故を思い出して悲しむのであれば無理に伺ったりはしません。あくまで彼らの気持ちを尊重するように心がけています。
Q 被害に遭った人達は、どんな活動をしているときに被害に遭うケースが多いのでしょうか
A 手で持っているときに被害に遭うケースが一番多いです。地雷の危険性を十分に認識していないために事故が起こるのです。地雷を池に投げ込んで魚を獲ろうとしたり、子どもたちが興味本位で手に持って遊んだりして爆発し、被害に遭っています。2番目は農作業をするために畑にはいっているときに被害に遭うケースです。地雷原だと知りつつも生活のために仕方なく農作業を行う人はいまだに多いです。
Q カンボジアでは地雷についての知識はどのくらい普及しているのでしょうか
A 地雷が爆発物であるということは大半の大人が理解しています。また、小学校でも地雷回避教育が行われています。しかしその破壊力がいかに大きいか、触れること自体がいかに危険であるかということを認識できていない人も少なからずいます。また、特に小さい子どもはもちろん地雷が何であるかが理解できません。
Q 地雷の被害者の方と初めて接したのはいつ、どんな方でしたか。その時と駐在員をご経験されたあとでご自身の考え方が変わったことがあれば教えていただけないでしょうか
A 先ほどの質問の答えと重なりますが、2006年の2月にCMCのスタディツアーでカンボジアを訪れたときです。6歳の男の子で右足を失っていました。そのときはなぜ地雷被害がおこるのか理解できませんでした。地雷原に入らなければ事故は起こらないわけです。そこへなぜわざわざ入るのかが理解できませんでした。しかしその背後にはカンボジアの貧困問題や教育問題等、様々な問題が絡みついていることが理解できました。つまり、村人は危険だと知りつつも、収入を得るために地雷原を耕すわけです。また、学校に行っていないがために地雷回避教育を受けられずに地雷の怖さを子どもたちが理解できないわけです。このように地雷問題は多角的側面から包括的に解決していく必要があるのだと理解できました。また、駐在員になる前は、地雷被害者に対してはかわいそうなイメージしかありませんでしたが、現地で勉強や仕事に精を出す地雷被害者の皆さんを目にして、すごく前向きな印象を持つようになりました。CMCの活動を通して彼らのように頑張っている障害者がいることを、そうでない障害者のみなさんやカンボジアの皆さん、また世界の皆さんに伝えていきたいと思っています。
Q 私たち若者が地雷の被害にあった人達のために何ができるのか考えています。アドバイスをいただければ助かります。
A 今すべきことに全力で取り組むことだと思います。地雷被害者の皆さんの中には人生に悩み、落ち込んで全てをあきらめてしまっている方もいます。そんな彼らを励まし、勇気付けるためには、まずは私たちが自分自身の人生を一生懸命に生きることが大切だと思います。その上で私たちの希望や活力、そして愛を彼らにおくりましょう。そして対等な立場でともに人間らしく生きていくことが重要だと思います。
障害者のための職業訓練をするキムさん(手前) |
Q あなたのお名前と生年月日、どこに住んでいるのかを教えてください
A 私の名前はキム・スレイ・チャーです。1988年10月15日に生まれました。おばあちゃんと一緒にコンポンソム市に住んでいました。今ではプノンペンにある「AAR障害者のための職業訓練」の寮に住んでいます。私が生後1カ月のとき母は私を置いてどこかへ行ってしまいました。
Q 地雷の被害に遭ったときに、おいくつでいらっしゃいましたか。また、何をしているときに被害に遭われたのでしょうか
A 地雷の事故にあったとき、私は7歳でした。薪を集めるために森に行き、茂みの中から木の枝を引っこ抜きました。それが私が地雷を踏んだときです。
Q 地雷を踏んだ際、身体のどこの部分を怪我されたのですか
A 左足を怪我して、今は左足のひざより先を切断した状態です。職業訓練校に来るまで望みをなくしていました。
Q 職業訓練校ではどんな活動をなさっているのでしょうか。また、それは週に何回何時間くらいか教えてください
A かばんを縫う技術を習っています。私はそれがとても好きです。月曜から金曜日まで1日6時間縫製を学びます。これ以外に、1日1時間読み書きを勉強します。これに加えて、月に一度障害者の人権についての授業に参加します。月2回の訓練生による生徒会活動をとても楽しんでいます。ですから、私は最愛の学校から得られるこのような技術、社会的知識や道徳教育など多くの興味深いことを学んでいます。
Q 怪我をしたあとにあなたを最も支えてくれた方はどなたですか。また、あなたが勇気づけられた言葉は何でしたか
A おばあちゃんは、私が地雷被害に遭って以来最も支えてくれました。彼女はとてもよく面倒をみてくれました。彼女はいつも「お前は障害を持っているけど、心はそうじゃない。だから差別を克服するために一生懸命勉強しなくてはならないよ」などとたくさんのいい言葉で私を勇気づけてくれます。
Q お友達で、あなたと同じように地雷の被害に遭った方はいらっしゃいますか
A 私の村では、地雷の生き残りの友だちはいませんが、この職業訓練校にはたくさんそんな友だちがいます。彼らに出会えてとても幸せですし、障害を持った多くの人々と出会えて一人じゃないと感じました。私たちは一緒に勉強して住んでいます。
Q あなたと同じような地雷被害をなくすためには何が必要だと思いますか
A 地雷被害をなくすには、カンボジア政府は地雷のあるすべての場所に掲示板を提示すべきだと思います。人々が地雷を踏むのを防ぐためです。そして、人々自身が慎重になって、どこに行くときでも(特に森に行くときには)その掲示板を探すべきだと思います。地雷は地上から除去されるべきです。
Q これまでくじけそうになったことはありますか。いつそのような気持ちになりましたか。また、どうやってそれを乗り越えましたか。
A はい、技術を学ぶのが難しかったときに一度あります。先生が何度も説明してくれたのに、その理論がよく分からなかったのです。その後で、読み書きの先生のアドバイスを思い出しました。「もし何かができなくても、何度も何度でも挑戦するべきです。いつか成功するにちがいありません」彼のアドバイスに従うべきだと思ったのです。ついに、勉強が前よりできるようになりました。
Q 地雷をなくすために、地雷の被害国とそうでない国の若者が手紙の交換や互いの国の行き来を通じて地雷についての意見を交換すればいいのではないかと考えました。地雷がいかに非人道的な武器かということを、地雷被害のない国の若者も理解できるからです。さらに、交流をした若者が「将来、地雷を絶対に使わないようにしよう」と約束をします。その「約束」が世界中に広がることを願っています。あなたはこれについてどう思われますか。これを実現させるためにどこをもっとよくしたらいいと思われますか。また、他の考えをお持ちであればぜひ教えてください。いっしょに考えましょう
A 世界中から地雷をなくすために、私たちは地雷製造国にこれ以上作らせないようアピールするべきだと思います。
Q お名前の読み方、どちらの市町村にお住まいか教えていただけませんか
A かとうみちよ。東京都世田谷区。
Q 加藤さんは2005年8月から2006年6月までカンボジアに駐在しておられたそうですね。現地ではどんなお仕事をなさっていたのか具体的に教えてください
A 障害者のための職業訓練事業と車いす製造配布事業の運営・管理をしていました。また、事業開始から12年間、日本人が中心となって実施してきた上記2事業をカンボジア人職員に引継ぐために、自立支援をしました。
Q なぜカンボジアの駐在員になりたいと思われたのですか
A 地雷被害者を含む障害者支援に携わりたい気持ちはありましたが、特にカンボジアという国にこだわる気持ちはありませんでした。結果的にカンボジアに駐在することになった、というのが正直なところです。
Q 駐在する以前から地雷の問題に関心をお持ちだったのでしょうか
A はい。大学でビルマ語を勉強した縁で、ミャンマーの地雷調査をするNGOで働いていたのです。被害に遭った人に聞き取りをする内に、直接彼らを支援したいという思いが強くなりました。
Q 地雷の被害に遭った方の気持ちを考えて接するのはご苦労が多いのではないかと思うのですが、どんなことに気を使われましたか
A 職業訓練校の生徒や車椅子利用者の障害の原因は地雷だけではありません。ポリオや事故が原因の方も多いので、地雷被害者に対して特別に対応することはありませんでした。障害者に対しても、特別扱いすることはなく、個人として対応していました。障害者や地雷被害者に対しては、日本では一般的に「かわいそう。ひどい目にあったのに健気に頑張っている偉い人たち」というイメージを持たれることがあるかと思います。しかし、障害者もそうでない人たちも同じで、悪い人もいればいい人もいます。また、かわいそうだと同情されて特別扱いされるのは嫌だと思う人たちもいます。
気をつけたのは、自分やカンボジアの職員が、身体に障害を持つ生徒の自立可能性をつぶさないことでした。身体に障害を持っていても、工夫次第でできるようになることが沢山あります。例えば、両腕がなくても練習次第でひじだけを使ってペンを持ち字を書ける人がいます。また、車椅子の利用者は高い位置にある蛇口に手が届かない場合がありますが、蛇口を下の位置につけかえれば、自身の好きなときに自由に手を洗うことができます。勝手に「この人はできないからやってあげる」を判断しないで、「どのようにしたら自分でできるようになるのか」を一緒に考えて工夫することをいつも考えていました。
Q 被害に遭った人達は、どんな活動をしているときに被害に遭うケースが多いのでしょうか
A 時代や年齢にもよると思いますが、カンボジア内戦当時またその直後は兵士や元兵士の被害者が圧倒的多数を占めていたそうです。現在では、収入を得るため鉄くずを集めている最中に不発弾を爆発させてしまうケースが増えているようです。また、森へ薪を拾いに行く途中、学校の校庭、道端、家の庭先、田んぼや畑など、日常生活に必要な作業をしている最中に被害に遭う場合もあります。
Q カンボジアでは地雷についての知識はどのくらい普及しているのでしょうか
A 地雷回避教育の成果もあり、地雷についての知識はだいぶん浸透しているのではないかと思いますが、どのくらい普及しているのかはわかりません。 知識も大切ですが、生活するために地雷原に入らざるを得なかったり、鉄くずを集めざるを得なかったりする社会・経済状況の改善も大切だと思います。地雷が危険だという知識はあっても、生計をたてるために危険をおかさざるを得ない場合もあるからです。
Q 被害に遭った人達は職業訓練を経て、一般的にどのような職業に就くのでしょうか
A 当会が実施する職業訓練校で教えているのは「縫製」「電子機器修理(テレビ・ラジオ等)」「バイク修理」ですので、学んだ職種に関係のある職業につく場合が多いです。
Q 地雷の被害者の方と初めて接したのはいつ、どんな方でしたか。その時と駐在員をご経験されたあとで加藤さんご自身の考え方が変わったことがあれば教えていただけないでしょうか
A 2001年、ミャンマーとタイの国境でミャンマーの地雷被害者の方とお話したのが始めてです。カンボジアに駐在したからといって特に考え方は変わっていません。
Q 私たち若者が地雷の被害にあった人達のために何ができるのか考えています。アドバイスをいただければ助かります
A 一人ひとり得意なことや苦手なことは異なるので、一概にどうしたほうがいいとは言えません。ただ、相手の意向を聞くことなく「こうすると良い」「こうしてほしい」という考えを押し付けることをやめて、まずは相手の話を聞き、一緒に何ができるのか考える姿勢を身に付けることは大切かと思います。
人を一人支援するというのは大変なことです。皆さんは学生なのですよね。焦ることなく、まずは、相手の気持ちをおもんばかり自分の頭で考えるようになることから始めればよいのかなと思います。これは私にとっての課題でもあります。
対人地雷を廃絶するための、非政府組織(NGO)の国際的なネットワーク。対人地雷全面禁止条約の成立に貢献し、1997年、ノーベル平和賞を受賞した。
対人地雷の使用、製造などを禁止する条約。1997年12月、カナダのオタワ市で調印された。2007年3月末現在、世界の約8割の国・地域が賛同している。