アンケートに協力してくれた広島インターナショナルスクールの生徒たち |
広島市中区の平和記念公園を歩くと、多くの外国人とすれ違います。広島市を訪れた外国人は2005年に23万人を超え、過去最高となりました。ヒロシマは国境を越え、平和を求める人々が集まる場所なのです。
ジュニアライターは今回、ひろしま国の持つ「力」に目をつけました。自分たちの育つ古里は、人を変える力を持っているのでは―。
市内に住む70人の外国人にアンケートをする中で、その問い掛けは、確信へと変わっていきました。6割を超す43人が「広島に来て平和への関心が高まった」と答えています。
また3人にインタビューをし、日本人の10代50人にもアンケートをしました。この「力」を若い世代がしっかりと理解し、どう生かしていくか。そう考えることが世界平和を一歩、実現に近づけるのです。
広島市に住む10代から40代の外国人70人に、アンケートをしました。広島が、外国から来た人たちにどんな影響を与えるのかを調べようと思ったのです。比較するため、広島市内とその周辺の小中学校、高校に通う生徒50人にも調査をしました。
外国人アンケートでは、広島に来たことにより、平和への関心が高まったと答えたのは43人(61%)。広島の平和への取り組みについて、母国よりも活発としたのは48人(69%)でした。広島でなんらかの平和活動をした人も48人(同)いました。
活動の内容としては「資料館に行った」(34人)「戦争についてのビデオや本などをみた」(27人)「戦争体験者や平和関係の研究者らによる講演を聞きに行った」(24人)などが多かったです。平和に関するスピーチ大会に参加した人もいました。
一方で、「どんな平和活動があるのか知らない」という声も9人から寄せられました。広島に来て以来、平和活動をしたことがない外国人が、理由として最も多く挙げたものです。
日本人50人へのアンケートでは、広島に住んでいることで平和への関心が高まっていると思うと回答したのが32人(64%)いました。平和活動をしたことがあるのは大半の42人。学校での平和学習を受けていないと答えたのは1人だけでした。(高2・菅近隆、中1・坂田悠綺、小6・今野麗花)
アンケートの詳報はこちらで見ることができます。 | ||
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■広島市在住の外国人対象アンケート | ■広島市とその周辺の日本の学校対象アンケート |
オーストリア オーストリアの兵役を拒否した代わりに、1月から広島市中区の原爆資料館で平和活動推進員として無給で働くチェザル・コンスタンティネスクさん(26)。問い合わせへのドイツ語対応や平和市長会議への加盟呼び掛けなどをしています。 コンスタンティネスクさんは、ずっと平和な環境に育ったわけではありません。5歳のとき、独裁政権下のルーマニアから家族とオーストリアに移住しました。「私には二つの母国がある。たとえ国の防衛のためでも、一つの国に加勢したくない」という言葉から戦争に絶対参加したくないという意思が伝わってきました。 「原爆資料館のホームページをドイツ語に翻訳し、より多くの人に原爆の被害を伝えたい」とはりきっています。1年間の広島滞在で、彼がどう変わるか、楽しみです。(高2・中重彩) |
ルワンダ 「広島の奇跡のような復興を見習いたい」とルワンダ自治省の職員ウィリー・ンディゼイエさん(31)。紛争を経験した国などを対象にした平和構築の研修に1月から約1カ月間、最年少で参加しました。東広島市にある国際協力機構(JICA)中国国際センターが受け入れたのです。 ウガンダやシエラレオネの公務員8人と一緒に、日本と広島の戦後復興や広島市の平和行政などについて勉強しました。彼は民族紛争のため隣国ウガンダで難民として生まれ育ち、母国に移住したのは内戦が終わった1994年でした。当時は街中が国民によって破壊されており、「広島と同じゼロからのスタート」だったと言います。 研修を終え「復興には、地域の人が一緒になって取り組まないといけないと学んだ。帰国したら、個人としても復興に関する活動に参加したい」と話していました。 また「広島の人には大変勇気づけられた。これからも、紛争の傷の残る国や地域に平和のメッセージを送り続けてほしい」と感謝していました。(中3・西田成) |
グアテマラ 中米のグアテマラ出身で、お好み焼き店「LOPEZ」(広島市西区)を経営しているフェルナンド・ロペズさん(43)に会いに行きました。 グアテマラは1960年ごろから96年まで内戦状態でした。内戦中はゲリラや警察に友人や近所の人が殺されることもあったそうです。「広島に住んで、初めて『平和』がどんなものか分かった」と言います。 同区出身の女性と結婚し、来日して10年になります。「広島は被害にあった街というイメージが強く、この街に積極的にグアテマラに関心を持つ人がいるとは思わなかった」。しかし、中南米の孤児たちを支援するなどの活動をする人と出会い、考えが変わりました。広島の平和発信が彼を動かしたのです。 「広島の人に会ったことで、自分も紛争などで苦しんでいる世界の人のために何かしたいと思うようになった」と話していました。(高1・マディナ・サディコワ) |
経営するお好み焼き店で、広島での体験を話すロペズさん スタートボタンを押してね
アンケートやインタビューをして、ひろしま国には人々を平和へ向けて動かす大きな力があることを再認識できました。日本人アンケートでは、平和への関心が高まっていると思う人が6割もいたのは驚きました。あまりに身近すぎて「ヒロシマの力」に気づいていない人が多いと思っていたからです。
外国人からは、若い世代に「外国人が広島を訪れたときや、広島の若い世代が海外を旅するとき、広島のことを教えてほしい」(20歳女・オーストラリア)などと行動を期待するメッセージも寄せられました。
広島の若い世代として、やらなければいけないことがたくさんあると思いました。6割が「関心が高まっている」とこたえているけれど、行動につながっているとは、自分やその周囲を見ても思えないからです。平和の取り組みに、より多くの人を巻き込めるように、まずは自分たちが勉強したいと思います。(高2・菅近隆)
国の法律などによって軍隊に入り、軍の仕事をしなければならないこと。自分の信念などを理由に、これにつかないことを「良心的兵役拒否」という。
原爆資料館を運営する広島平和文化センターが受け入れているボランティア。自国で兵役を拒否した人らが無料奉仕活動をする。
ある個人や団体などが、全権力を握って国民を支配する政権。
発展途上国からの研修生受け入れ、青年海外協力隊の派遣などをしている。