ひろしま国には、どんな国歌がふさわしいだろう。ジュニアライターたちは、広島市内の中学校の平和学習から生まれた曲「ねがい」に着目しました。人種や国境を越えて歌詞が次々に作られ、歌われるこの曲。誕生から約5年で600番を超える熱い思いが積み重なっています。
ねがいの生みの親である横山基晴(もとはる)先生を訪ねたほか、それぞれの分野で平和活動をしている人を取材し、作詞をお願いしました。エンドレスな(終わりのない)この歌のように、子どもたちの夢や希望が無限に広がることを願って―。
2001年、広島市の大州中3年生が作った「平和宣言」を、当時同校にいた横山基晴先生(現在は宇品中)が歌にしようと考えた。広島合唱団のたかだりゅうじさんに作曲、山ノ木竹志(やまのきたけし)さんに編詞を依頼し、02年2月末に4番まで完成した。
翌年、先生たちの研究会で横山先生が歌のことを発表したことがきっかけとなり、教育関係の特定非営利活動法人(NPO法人)「JEARN」(ジェイアーン)が「5番目の歌詞を作ろう」という運動「ねがいコネクション」を展開。運動はインターネットを通じて海外にも広がり、28日現在で、28カ国から622番までが寄せられている。
歌詞の受け付けや、詳しい情報を紹介しているホームページはhttp://www.jearn.jp/2003conference/negai/index_j.html
(歌.広島合唱団)カザフスタンの民族衣装を着て「ねがい」を歌う、ジュニアライターのサディコワさん(撮影・中1坂田悠綺)
それぞれの歌にはストーリーがあります。国籍や言葉は違っても、聴きながら、それを想像できるのは世界のどこでも同じです。人をつなぐことができるのが歌の長所。だから「ねがい」の歌詞を作る人の大きな輪は、地域、国、世界へ広がっていくのだと思います。
私はカザフスタンで日本語を二年間勉強し、昨年四月に広島へ来て、山陽女学園高に留学しています。私の国にある都市セミパラチンスクではかつて、旧ソ連により何度も核実験が繰り返されました。広島の人たちはセミパラチンスクを訪れ、被ばく者検診など医療支援をしてくれます。私のように留学生を招いたりもしてくれています。
カザフスタンにいる時、日本のことは調べ尽くしたつもりでした。来日して人とふれあい、文化だけではなく命や人生、人間関係をより深く考えるようになりました。広島に滞在したことで、平和に対する思いが強くなったのです。
広島で被爆者に会い、話を聞いて、原爆の恐ろしさと平和の大切さが分かりました。印象的だったのは昨年八月六日の平和記念式典に出席したことです。大勢の人が、集まり祈っている姿に心を動かされました。
平和のためにはみんなで力を合わせること。それは、だれにでもできることです。ジュニアライターとして「ねがい」の取材を終え、そんな気持ちを込め歌詞を作りました。自分が平和のために何かできると思ったら、最初のステップです。困っている人にできることは何なのか考え、行動することはその人たちにも、自分自身にとっても、大切なことです。
私たちは若いけれど、できることはいっぱいあります。例えば電車、バスの中でお年寄りに席を譲ること。学校でしっかり学ぶこと。そして周囲の人の助言を聞くことです。席を譲ることは小さいことかもしれません。でも、ここから小さい愛が生まれ、育つと思うのです。
私は三月にカザフスタンへ帰りますが、母国語でも歌詞を作ろうと思っています。皆さんも「ねがい」の五番を作りませんか。そして、笑顔で歌ってみましょう!
国際的な医療ボランティア団体のAMDA(岡山市)は二十九カ国に支部を持ち、被災地や紛争地で困っている人を助けています。創設者の医師菅波(すがなみ)茂さんに歌詞を作ってもらいました。
災害が起こるとAMDAの医師団は、七十二時間以内に被災地に入ります。「『あなたを見捨てません』というメッセージを伝えることが、被災者にとって絶望から希望を見いだす勇気となるからです」と詞に込めた思いを説明してくれました。
「医療は言語、宗教などの違いを超え世界のみんなが必要としている」と菅波さんは言います。被災地の子どもたちに夢を尋ねると、決まって返ってくるのは「医者、看護師、先生になりたい」という答えだそうです。健康や教育への切なる願いは、それらが普通に手に入る僕らには実感しにくいことです。
国際的な活動をするときに大切なのは「名前を呼ぶ」「あいさつをする」「ありがとうと言う」の三つの行動で、相手の存在を認めること。「まず、その国の言葉の『ありがとう』を覚えることからだよ」と話していました。
「平和とは今日の家族の生活と、明日の家族の希望が実現できる状況」(撮影・高1マディナ・サディコワ)
「ここまで広がるとは予想外でした」。「ねがい」の生みの親である横山基晴先生は驚きを隠せない様子でした。
「歌というのは幅が広い。だれでも、いつでも参加できる表現活動だから」。生徒たちの平和学習をもとにして「ねがい」を作った理由を、先生はそう説明しました。先生自身が子どものころは、平和についてあまり考えていなかったそうですが、地理が好きで社会科教師を目指すようになってから、考えるようになったそうです。
歌が生まれる前の年、大州中の生徒に「将来、自分たちが戦争に行かなくてはならなくなったら、どうするか」というアンケートをしたところ、「戦いたくない」と答えた生徒がほとんどでした。ところがその年の秋、米中枢同時テロの後に同じアンケートを同じ生徒にすると「戦う」という答えが増え、衝撃を受けたそうです。
「世の中の流れに安易に乗っかるのではなく、自分の価値観をしっかりと持って考えてほしい」。「ねがい」を作ろうとした背景には、そんな思いもあったそうです。
先生自身も歌を通じて、ケニアなどさまざまな国との交流を体験しました。新しい出会いや発見、つながりがたくさんできたそうです。平和学習をもとに歌を作ってくれた広島合唱団の人たちや、ホームページで歌を広げてくれた、たくさんの人たちのおかげだと感謝していました。
平和とは自分たちの思いを自由に発信できること、と先生。五番目の歌詞づくりが、平和について考えるきっかけになることを望んでいます。地元広島からの歌詞は少ないので、ぜひ作ってほしいそうです。
全世界で国や人種の垣根なく広がりの輪を見せる「ねがい」。ひとまずの目標は、折り鶴にちなんで千個の歌詞ができることだそうです。「もう僕の手を離れて独り立ちし、歌がどんどん育っている感じがします」
「他の国の言葉で『ねがい』を聞くと、また違った感動があります」(撮影・高2中重彩)
「平和への思いが込められたいい歌ですね」。アーティストの石井竜也(たつや)さん(47)=写真=は「ねがい」についてこう語りました。広島の子どもたちについては「被爆者の生の声を聞いて平和や原爆を勉強しているし、身近に感じている。その気持ちを大切にしてほしい」と、エールを送ってくれました。
石井さんは米中枢同時テロをきっかけに、平和イベントを始めました。「芸術でメッセージを伝えるのは、たくさんの人にすんなりと受け入れてもらえる」からだそうです。最初は横浜でしていましたが、二〇〇五年は平和記念公園で音と光のイベントを、昨年は広島交響楽団と協演してコンサートをしました。
取材の最後に「ねがい」の作詞をお願いしてみました。「世界の人に聴いてもらえるよう英語で歌詞を作ってみたいし、この後に続くメロディーも作って歌ってみたい。宿題にさせてもらっていいですか」と笑顔で話してくれました。
ポーランド出身で、広島の原爆と母国にあったアウシュビッツ強制収容所をテーマにした小説、詩などを比較し、研究しているウルシュラ・スティチェックさん。二つの悲劇を描いた作品たちには共通点があると語りました。「たくさんの人が亡くなった極限状態の中でも、人間にはあきらめず乗り越えよう、生きようという希望がある」
ポーランドの大学で日本語を勉強し、卒業論文で原爆文学を取り上げたのがきっかけで、広島大に留学。来日約十五年になります。「特に若い人たちにとって原爆や戦争のイメージが遠いものになった」。大学で英語の非常勤講師をしながら、原爆関係の本などを集めた文学館を造る活動にも力を入れています。
スティチェックさんは「平和はあいさつや笑顔、思いやりなど、身近なところから広がっていくもの」と、歌詞の言葉に込めた気持ちを話します。「世界中の子どもたちが、それぞれの国の言葉で『ねがい』を同時に歌ってみたらどうでしょう」と提案してくれました。
1991年、旧ソ連の解体で独立した中央アジアの国で、首都はアスタナ。面積は日本の約7倍で、旧ソ連ではロシアに次ぐ広さ。人口は約1510万人。
カザフスタン北東部にあり旧ソ連時代の1949年以降、41年間にわたって大気圏、地下合わせて470回前後の核実験が行われた。
戦争や自然災害時のほか、貧しい地域に医師を送り、生活を改善するための支援をするボランティア組織。1984年に設立された。主にアジアやアフリカ、中南米で活動している。本部は岡山市。
ナチス・ドイツが主にユダヤ人を大量虐殺した3つの収容所。1940年、現在のポーランド・オシフィエンチム市郊外に造られた。45年にソ連軍がやめさせるまでにガス室などで死亡した人は110万―150万人と推定されている。
2001年9月11日、米国で旅客機4機を乗っ取った犯人が起こした大規模テロ事件。飛行機2機が激突したニューヨークの世界貿易センタービルが崩壊した。3機目はワシントンの国防総省に突っ込み、4機目はペンシルベニア州で墜落。計約3000人が死亡した。
1985年に「米米CLUB」のボーカルとしてデビュー。音楽のほかにも映画監督やデザイン、芸術プロデューサーなど幅広い分野で活躍している。