APECジュニア会議で統括ファシリテーターを務める筆者(左端)=2月 |
1961年広島市生まれ。市立舟入高を卒業後渡米。カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)経済学部卒業。25歳で、留学と異文化交流のサポートを主な業務とするアメリカンドリームを設立。ロサンゼルス五輪通訳、原爆ドームの世界遺産登録への協力、2002年W杯日本招致委員会国際部員などを経験した。この2月に広島であった「APECジュニア会議in広島2010」の統括ファシリテーターも務めた。
出社するとすぐにメールをチェックします。ごく当たり前の作業ですがいつも若干の緊張を伴います。これまで、体温がスッと下がるような連絡が何度かありました。
「米国南部を襲ったハリケーンにより留学生が消息不明」「留学生の運転する車が赤信号の交差点に突っ込み玉突き衝突」。そして「9・11米中枢同時テロ」です。帰宅後の自宅TVのニュース画像と同時に携帯電話に米国から緊急電話が入り、そのままオフィスに戻っての対応となりました。
日本から海外に留学する人たちのサポートをするのが私の仕事です。私自身かつて留学生として米国の大学で学び、帰国後、25歳の時に現在の会社を立ち上げて23年になります。
これまで生死にかかわるような事態には至っていません。これからもずっとそうであってほしいと願いつつ、私は留学準備をする人たちに常に緊急事態の発生を想定した話をします。
それは事故などに限ったことではなく、大学の授業や毎日の生活に関してもそうです。
「便利さと快適さを願うなら自分の家に居ること。通りを渡り、遠くに行くほど不安も不便も増す。言葉も文化も違い、頼れる家族もいない外国に一人で出かけて行って数年かけて学位まで取って帰ろうなんていう作業に挑戦する場合は、すべて思った通りにいかないという想定でいるべきだ。それをどうにかする実技を身につけるために出発するのだから」
これが私の持論です。
私自身18歳で米国に渡り、冷や汗を伴う出来事を何度か体験しました。成績不振とホームシックに悩み、卒業して日本に帰る日に思いを馳(は)せながら数年間の道のりを歩きました。そんな私が現在、留学生の手伝いをすることを職業としています。別に自分の味わった困難を世の中に拡散させようとしている訳ではありません。
日本はアジアなどの諸外国に追い抜かれ、置き去りにされるのではないかと言われています。しかし私は、日本の復活は可能であると考えています。かつてこの国は敗戦のどん底から這い上がりました。
数年前にニューヨークの国連本部に広島の中小企業家の方々による訪問団を出しました。その時、国連職員の方に言われました。
「戦争や災害で苦しむ人達に対し、『頑張れ!私達にもできたんだ。希望を持て!』と廃虚の中から蘇った広島の皆さんが発するメッセージは、世界のどんな機関からの支援より人々に勇気を与えます」
今こそ私たちは希望を失いそうになる我が国に対して、「さあ、もう一度やってみよう」と、エールを送る時ではないでしょうか。
挫折や失敗は体験したくないというのが本音でしょう。しかし、痛みや苦しみを知った人の周りには友人が集まって来ます。私は留学生たちに言います。「不安や緊張はあって当然。思いっきりやってごらん。仮に失敗したって復活はどこからだって可能なんだから」
私は、様々な挫折や失敗を経て、自分の仕事を「我が天職」と確信できるようになりました。