ソマリア南西部ブアレで、学校給食プログラムの視察をした際の一こま。中央が筆者(今年5月) |
1975年東京都生まれ。学生時代から阪神大震災後の神戸、イラン、パプア、コロンビア、旧ユーゴスラビアなどで緊急援助ボランティアとして活動する。ロンドン大学経済大学院で発展途上国における社会政策学修士号取得。外務省が若手を国際機関に派遣するためのJPO試験に合格し、2003年からWFPスリランカで給食事業や津波支援に従事。南スーダン勤務を経て08年より現職。
わたしの現在の仕事は、国連世界食糧計画(WFP)のソマリア南西地域事務所長、現場の「何でも屋」です。
WFPは、飢えに苦しむ途上国の人たちに食糧を配給している国連機関です。ソマリアは紛争中のため、WFPソマリア事務所は隣国ケニアのナイロビにあります。
わたしは、ソマリア南西地域のブアレに拠点を置き、ナイロビの事務所と連絡を取りながら、食糧をだれに配るかの選定、支援プログラムの計画・実行、金銭的な調整、食糧を予定通りに現場に運ぶための物資調達・輸送、事務所兼宿舎を運営するための人事、事務全般を指揮しています。
現場で事業を実施する地元NGOの評価やスタッフの研修もします。地元の人々の理解と協力を得て、よい関係を築くことは、支援活動を行う上で不可欠なので、行く先々で地元の代表者と話し合いを持ちます。
そのためにソマリア語の勉強もしています。苦情の対応、支援活動を現場で監督する提携団体の選択や、宿舎のトイレの工事の件、大量に物資を買い入れる際の入札の実施、大きな頭痛の種から重要度の低い小言まで、毎日のように対応しなければいけません。
イスラム教の地域なので、わたしもソマリアの女性と同じように頭からすっぽりベールをかぶっています。出張に出るときには前後に護衛を10人以上伴って舗装されていない道路を何時間もかけて行かなければいけません。
普段から危険と隣り合わせの環境です。全く異なる価値観をもった人たちと仕事をするのは、思った以上にたいへんなことですが、ソマリアでは人口のおよそ半分にあたる360万人が飢えに苦しんでおり、これらの人々に食糧を届けるために山積みの課題を一つずつこなす毎日です。
支援現場にいるときは週末もゆっくり休めませんが、緊急援助の現場仕事の面白さは、普段「見られないものが見られること」「行けないところに行けること」「できないことができること」でしょうか。支援対象者の“顔の見える”場所にいられる「現場の臨場感」、目の当たりにした問題を解決策につなげられる「仕事の面白さ」、24時間一緒に仕事をする「仲間の連帯感の強さ」にあふれていて、現場はとても充実しているのです。
自分がやれる仕事の範囲が少しずつ広がっていくこと、思うようにいかないことも多い中でふっと問題が解決する瞬間、そして笑顔で食糧をもらっていく人たちの笑顔を見るのが日々の原動力です。
守るものより攻めるべきことのほうが多い“若いうち”に激動する世界の底辺や裏側、濁流うずまく部分をがっつり肌で感じておくこと、その中にある本質的なものや美しいものに気づける幸運と大きなチャンスが転がっている場所で、微力ながらも「よい社会づくり」に貢献できることができる今の環境に不満はありません。
どうせ同じエネルギーを使うなら、大きな仕事をしよう! そう思って始めた国連キャリアも6年になりました。人のために、人と一緒に、人の中でする仕事。好奇心と行動力に支えられたその心は、舞台女優にあこがれた学生時代とあまり変わっていないのかもしれません。