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 藤 千慧(下)  無駄な経験なんてない


コンゴ(旧ザイール)にあるルワンダ難民キャンプで集まってきた子どもたちと=中央が筆者(1994年秋)

ふじ・ちえ

1969年、大阪市生まれ。父と母、姉と弟の5人家族で育つ。父の赴任で、小2の冬から中学校を終えるまで当時の西ドイツで暮らした。帰国後、日本での高校生活になじめず、いじめにあったり、不登校を経験した。結婚を機に広島に移住、広島市立大大学院で国際学を学び、出産を経てNPO法人ピースビルダーズを設立し、事務局長に。家族は夫と長男。

今の仕事に入ったきっかけは、一言でいえば「好奇心」です。中学生のころ、カンボジア内戦を知ったことが直接のきっかけかもしれません。

私がヨーロッパにいた時、アウシュビッツを訪れ、これは「過去のこと」だと思いました。でも、ちょうどその時期、カンボジアで大虐殺が行われていたのです。

社会に出てそのことを思い出し、アウシュビッツを過去のことだと考えていた無知な自分を恥ずかしく思うと同時に、カンボジアに行きたい気持ちが高まりました。一番の近道が、非政府組織(NGO)への就職だったのです。もちろん、難民キャンプに行けるしおもしろそうだ、という不純な動機もありました。


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大学卒業後に就職した金融系の企業は1年余りで退職しました。企業での勤務経験は、社会人の基礎を学ぶには非常に意味がありよい勉強になりましたが、霞が関に近い居心地のいい近代的な高層ビルにあるオフィスは「自分の居場所じゃない」と感じていました。そんな時、たまたま、職員を募集していた「難民を助ける会」というNGOに転職できました。

そこではカンボジア、ザンビア、タンザニア、ルワンダ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、アンゴラなどの国々でさまざまな事業の運営や調査をしました。アフリカとの出会いはこの時期でした。

アフリカに思い入れや関心があったわけではありません。組織に「行け」と言われたから仕事のために行きました。でも、アフリカに行って気付きました。子ども時代にあこがれていたものが、そこにはたくさんあったのです。

「星の王子さま」に出てくるバオバブの木。360度の地平線。走る野生のキリン。満天の星と南十字星。もう何年も思い出していなかった夢でしたが、すべてが感動的な出会いでした。

アフリカには調整員として派遣されました。調整員の業務は、現場で支援のニーズを把握し、そのためにできること全般を行います。支援者と政府や国連機関・援助機関とを結び、各種申請・報告書の作成、本部・現地などとの連絡調整、安全管理、現場スタッフの人事、物品調達、会計管理、政府から個人まで日本のドナー(資金提供者)への対応、など、多岐にわたります。たとえば、井戸掘削事業であれば、井戸を掘るのは技術者で、調整員はそれ以外のすべてをするといった感じです。

難民キャンプでの支援で「水」はいつも重要な要素です。当時の難民を助ける会では、井戸掘削事業を得意分野としていました。私は井戸掘りをしたことがありません。が、大学で石油化学を専攻し、石油の精製などを研究していた時、原油の掘削現場に行ったことがありました。井戸掘削の現場に行き、その光景をみた瞬間、自分が掘削機の使い方を知っていることに気付きました。当初、技術者はなかなか水が出ず行き詰まっていましたが、彼らと技術的な意見交換をしながら、共に井戸を掘削して事業が成功しました。意外なところで大学時代の知識が役立ったのです。


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国際協力などの分野と関係ない学問を大学で専攻し、就職先は金融、そして成り行きでなったNGO職員。「計画性がない、いいかげんな人生」とも思ったりしていたのですが、その時、無駄な経験などないものだと思いました。

 
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