初めて禎子さんの物語を知った時のことを正直、はっきりとは覚えていませんが、日本に来た1996年よりも前でした。禎子さんの話は本やアニメを通して世界の人に親しまれるようになっています。たぶんもっとも知られている英語の彼女の本は1977年に Eleanor Coerr が書いた「Sadako and the Thousand Paper Cranes」でしょう。しかし禎子物語を有名にしたこの本は誤解も生みました。この本は、禎子さんは644羽を折ったところで亡くなり、彼女の友達が1000羽にしたというドラマチックな内容になっているのです。多くの人はこれを本当だと思っているでしょう。もちろん彼女は1000羽を達成し、もっともっと折ろうとしていたのです。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
1955年の2月21日に禎子は入院しました。彼女はすでに重い病気でしたが、気力はまだ強かったのです。彼女はほかの患者と友達になり、年下の子どもたちと遊びました。しかし6月に、たった6歳だった友達のゆきこさんが白血病で亡くなりました。その時、禎子は自分も死んでしまうのではないかと思い始めたのです。
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8月初めのある日、看護師が禎子の部屋に折り鶴の輪を持ってきました。禎子はそれを見たとき、母親がかつて彼女に話してくれた物語を思い出しました。1000羽の折り鶴を作ったら、願い事が本当になるよ。突然、禎子にやらなくてはならないことができました。千羽鶴を作ることによって、彼女はまた元気になることができるかもしれないのです
※締め切りは11月16日(必着)です。
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