禎子さんのことを考えるとき、広島大学病院の院内学級でボランティア教師をしたことを思い出します。私は3年間、入院していた児童に英語を教えました。彼らの多くは、禎子さんのように白血病でした。
みなさんは悲しい場所を想像するかもしれません。実際子どもが亡くなった時には涙を流したこともありました。しかしそこは、私たちの忙しい生活の中にはなかなかない、愛情に満ちた喜びでいっぱいでした。子どもや大人たちは死の影を常に伴っていたので、彼らは私たちよりも、愛と命の喜びを深く感じていると思いました。私は彼らに英語を少しだけ伝えたかもしれませんが、彼らはもっと大切なことを教えてくれました。
命に感謝することです。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
9年後、佐々木さん一家は広島で再び幸せな生活を過ごしていました。禎子は幟町小学校の6年生でした。彼女は健康で、運動、特に走ることが大好きな活発な女の子でした。しかし12月のある日、禎子は体調を崩しました。医師は彼女が原子爆弾の放射線の影響で白血病にかかっていることを見つけました。
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1955年の2月21日に禎子は入院しました。
彼女はすでに重い病気でしたが、気力はまだ強かったのです。
彼女はほかの患者と友達になり、年下の子どもたちと遊びました。
しかし6月に、たった6歳だった友達のゆきこさんが白血病で亡くなりました。
その時、禎子は自分も死んでしまうのではないかと思い始めたのです。
※締め切りは10月31日(必着)です。
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