被爆体験記と被爆者の詩を英語で読むボランティア団体の手伝いをしたことがあります。ヒロシマを訪れる外国人に聞いてもらうんです。海外ではほとんど日本語が通じませんが、このような活動は重要な意味を持っています。英語はもはや世界言語となり、英語での発信はより広く被爆体験を伝えることになるからです。
もし人々が核兵器のもたらす結果をあまり理解していないなら―ほとんどの人がそうではないかと恐れているのですが―より安易に核兵器は使われることでしょう。逆に言えば、人類にもたらされる影響を深く理解していたなら、これを使うことはものすごく難しくなると思います。
被爆者の声が英語で、世界に向けてより強く発信し続けられることを望んでいます。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
戦後、子どもたちは多くの苦難を経験しました。家族を失い、家も学校もなくなりました。食糧難は戦時中よりもひどくなりました。家族が死に、孤児となった子どももいました。原爆による孤児の数は分かっていませんが、2000人から6500人と推定されています。
英語翻訳の応募は、下のフォームから送れます。どしどしチャレンジしてね。
被爆者に対する支援は進みませんでした。占領下、被爆者に関する情報は厳しく制限されました。これにより、人々は彼らの苦難をきちんと理解することができませんでした。しかし時が経ち、一般の認識も進みました。そして特別の支援を与える法律も制定されることになったのです。
※締め切りは7月27日(必着)です。
英訳のヒント