広島で私は光栄にも、多くの被爆者の体験を英訳する仕事に携わってきました。これらの翻訳を通して、被爆体験や原爆について学ぶことができました。このコーナーでも、何人もの読者が自分や家族、友人の被爆体験について教えてくれます。特に79歳の才野さんには感謝していますよ。毎回きちんと上手な翻訳とともに半生をつづってくれているのです。
先日、原爆資料館で、「ヒロシマナガサキ」(英語名 WHITE LIGHT/BLACK RAIN)を見て、また被爆者について知る機会がありました。日系アメリカ人による力強い作品で、8月6日にはアメリカのテレビ局で放映されるそうです。広島では8月18日から上映されます。興味のある人は ANT-Hiroshima=電話082(502)6304に問い合わせてくださいね。
米国イリノイ州出身。ニューヨークの大学と、サンフランシスコの大学院で演劇を勉強。大学院生のときに「ピースコール」というボランティアとして、ヨーロッパのチェコで英語の先生をした。広島市安佐北区在住。
爆弾が落ちた後、その年はヒロシマの人々にとって厳しいものでした。苦痛は肉体にも心理的にもありました。多くの生存者はけがと病気に打ち勝とうと、もがいていました。同時に彼らは愛する人を失った痛みにも直面しなければなりませんでした。そして家や食べ物、衣類など、私たちが今日当然と思う必需品が不足していました。
英語翻訳の応募は、下のフォームから送れます。どしどしチャレンジしてね。
戦後、子どもたちは多くの苦難を経験しました。家族を失い、家も学校もなくなりました。食糧難は戦時中よりもひどくなりました。家族が死に、孤児となった子どももいました。原爆による孤児の数は分かっていませんが、2000人から6500人と推定されています。
※締め切りは7月13日(必着)です。
英訳のヒント