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8・6を伝える

入野忠芳さん「もえたじゃがいも」

cd まるゆでのじゃがいもが好きだったケン。原爆が落とされた日の朝も、鍋にあったジャガイモをねだっていました。爆風で家の外に吹き飛ばされたケンは走って山へ逃げました。山から、燃え続ける町を見ていると、鍋の中で黒こげになっているじゃがいもが見えてきたのです。

子ども心 原爆で傷ついた/ささいなこと とても大事



入野忠芳さん

いりの・ただよし

1939年、広島市東区に生まれる。61年武蔵野美術大卒。75年に油絵の作品で毎日現代日本美術展大賞受賞。2002年には文化庁特別派遣芸術家在外研修員として中国へ。広島拘置所(広島市中区)の外壁画も制作している。広島市東区在住。

画家の入野忠芳さん(71)が、自身の被爆体験に基づいて作りました。「たったじゃがいも1個かもしれない。でも、ささいなことがとっても大事なんだ、ということを理解してほしい」と、力強く語ります。

絵本を制作することになったのは20年余り前。漫画「はだしのゲン」などの原爆図書を出版している汐文社(東京)からの「広島の画家に絵本を作ってほしい」との依頼を受け、7人が1作品ずつ担当して1989年に作りました。

絵本作りは初めてだった入野さん。「単に子ども向けのものとせず、大人の鑑賞に堪えられるものにしたい」。色鉛筆や墨、油絵の具などを使い、さまざまな技法で描いています。「単に説明のための絵じゃなくて、文字がなくても、絵で伝わるものにしたかった」と狙いを話します。

入野さんが原爆に遭ったのは5歳の時です。今のアトリエ兼自宅から、20メートルほど南西にあった自宅で被爆しました。ちょうど朝ご飯に、まるゆでしたじゃがいもを食べ、鍋に残っていたのをもう1個ほしい、と母親にねだっていた時でした。

爆風で外に吹き飛ばされた入野さんは、爆心地の反対側にあった山に逃げました。山から燃えている町を見ながら「こんなことになるなら、あのイモを食べておけばよかった」と後悔しました。そして戦後、じゃがいもを見ると、家が崩れ、町がつぶれて燃える、嫌な臭いがよみがえってきて、気持ち悪くなる時期がありました。

30代のころから毎年8月6日、まるゆでのじゃがいもだけを食べるようになりました。「今は食べるものがあふれている飽食の時代。でも1年に1日くらいはあのころに戻って、8月6日を確認しておきたい」と説明します。

じゃがいもと原爆が切り離せないものになった入野さん。「ささいなことだけど僕の場合、原爆によってじゃがいもが奪われた。それだけでも子どもの心は深く深く傷ついたんです」と言います。それは、入野さんの反核平和、原発反対の思いにつながっているのです。今の中高生に対しても「大人がつくった概念をとっぱらい、ささいなことが持っている大事さに気付き、考えてほしい」と望みます。

現在、広島市内の被爆樹木を墨で描いて絵はがきにしています。4、5年前から始めて現在30本ほど描きました。「70年間草木が生えない、と言われたのに翌年春には芽吹いた被爆樹木。その存在をもっと大事にしたい」。150本余りの全てを絵はがきにしたいと考えています。

(二井理江)

「8・6を伝える」は今回で終わります。


私がイチオシ☆ 高3・岩田皆子

絵一枚一枚から原爆の恐ろしさと作者の気持ちが伝わってきました。また、原爆が投下された直後の、子どもを思う母の気持ちや、近所の人の心遣いも描かれていて、思いやりの素晴らしさを感じました。

主人公のケンは、あの日を思い出すという理由で、大好きだったじゃがいもが食べられなくなりました。ところが今は、自分の子どもたちと一緒に8月6日はじゃがいもだけを食べています。じゃがいもを食べることは、つらい過去を思い出すことですが、それを乗り越えて、子どもたちの世代に、原爆の恐ろしさや食べ物の大切さを伝えていこうとする作者の熱意がよく分かります。


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