まるゆでのじゃがいもが好きだったケン。原爆が落とされた日の朝も、鍋にあったジャガイモをねだっていました。爆風で家の外に吹き飛ばされたケンは走って山へ逃げました。山から、燃え続ける町を見ていると、鍋の中で黒こげになっているじゃがいもが見えてきたのです。 |
子ども心 原爆で傷ついた/ささいなこと とても大事
1939年、広島市東区に生まれる。61年武蔵野美術大卒。75年に油絵の作品で毎日現代日本美術展大賞受賞。2002年には文化庁特別派遣芸術家在外研修員として中国へ。広島拘置所(広島市中区)の外壁画も制作している。広島市東区在住。
画家の入野忠芳さん(71)が、自身の被爆体験に基づいて作りました。「たったじゃがいも1個かもしれない。でも、ささいなことがとっても大事なんだ、ということを理解してほしい」と、力強く語ります。
絵本を制作することになったのは20年余り前。漫画「はだしのゲン」などの原爆図書を出版している汐文社(東京)からの「広島の画家に絵本を作ってほしい」との依頼を受け、7人が1作品ずつ担当して1989年に作りました。
絵本作りは初めてだった入野さん。「単に子ども向けのものとせず、大人の鑑賞に堪えられるものにしたい」。色鉛筆や墨、油絵の具などを使い、さまざまな技法で描いています。「単に説明のための絵じゃなくて、文字がなくても、絵で伝わるものにしたかった」と狙いを話します。
入野さんが原爆に遭ったのは5歳の時です。今のアトリエ兼自宅から、20メートルほど南西にあった自宅で被爆しました。ちょうど朝ご飯に、まるゆでしたじゃがいもを食べ、鍋に残っていたのをもう1個ほしい、と母親にねだっていた時でした。
爆風で外に吹き飛ばされた入野さんは、爆心地の反対側にあった山に逃げました。山から燃えている町を見ながら「こんなことになるなら、あのイモを食べておけばよかった」と後悔しました。そして戦後、じゃがいもを見ると、家が崩れ、町がつぶれて燃える、嫌な臭いがよみがえってきて、気持ち悪くなる時期がありました。
30代のころから毎年8月6日、まるゆでのじゃがいもだけを食べるようになりました。「今は食べるものがあふれている飽食の時代。でも1年に1日くらいはあのころに戻って、8月6日を確認しておきたい」と説明します。
じゃがいもと原爆が切り離せないものになった入野さん。「ささいなことだけど僕の場合、原爆によってじゃがいもが奪われた。それだけでも子どもの心は深く深く傷ついたんです」と言います。それは、入野さんの反核平和、原発反対の思いにつながっているのです。今の中高生に対しても「大人がつくった概念をとっぱらい、ささいなことが持っている大事さに気付き、考えてほしい」と望みます。
現在、広島市内の被爆樹木を墨で描いて絵はがきにしています。4、5年前から始めて現在30本ほど描きました。「70年間草木が生えない、と言われたのに翌年春には芽吹いた被爆樹木。その存在をもっと大事にしたい」。150本余りの全てを絵はがきにしたいと考えています。
「8・6を伝える」は今回で終わります。 |
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募集 広島の原爆に関するお薦め作品を10代の皆さんから募集します。住所、名前、学校名、学年、年齢、電話番号に、推薦する作品名と作者、推薦の理由を記してください。 |