CDは被爆体験記の英訳などに取り組む広島市の市民団体「ヒロシマ・スピークス・アウト」が出した。「今 立っているここです ここから始まるのです 三度は繰り返さないという 誓いの起点 人類への警告の地 ヒロシマ」(被爆エノキ)「父よ母よ 私が先に逝ったことを 悲しまないでください 多くの友と一緒です よい子だったと それだけを思い出してください 再び 戦を許さないでください」(県立広島第一中学校職員生徒追憶之碑)など102編を収めている。解説文もある。 |
新たな被爆者を出さない/明るく希望のある未来を
1938年、北九州市生まれ。61年から2004年まで広島で暮らした。80年代を中心に、詩人の故栗原貞子さんたち文学関係者とともに反核運動を続けた。東京都墨田区在住。
広島には原爆犠牲者を追悼する慰霊碑がいくつもあります。詩人の伊藤真理子さん(72)は、100基の慰霊碑と2本の被爆樹木について詩をつづり、詩画集「あしたきらきら」に収めました。「戦争によって地球を壊さないでほしい」との思いを込めました。
詩画集には、原爆で消えた町の人々、未来を奪われた動員学徒たちを悼んださまざまな慰霊碑が登場します。伊藤さんは、戦後の物のない時代に建てられた碑があることに感動しました。「建立した人たちが犠牲者に寄せる思いは計り知れない。新たな被爆者をつくらないでほしいという願いが込められている」と感じました。
詩画集「あしたきらきら」は、1994年に出版されました。イラストレーターの故山崎盛夫さんが、原爆で亡くなった義父を追悼しようと慰霊碑の絵を描いていて、伊藤さんは知人を介してそれらの絵に付ける詩を書いてほしいと頼まれたのです。本はその後、絶版になっていましたが、2009年に本の内容をCDとして復刻しました。
詩画集に出てくる「殉国学徒の碑」について、伊藤さんはある母親の話が忘れられません。広島女子高等師範学校の生徒の母親です。生徒はあの日、学徒動員で工場へ行って原爆に遭いました。行方はわからないままです。母親は工場で作っていたボルトナットを持っていて、娘の遺骨代わりに大事にしていたそうです。
原爆では大勢の子どもたちが犠牲になりました。伊藤さんは今を生きる子どもたちに呼び掛けます。「おじいちゃん、おばあちゃんたち身近な人に、戦時中、どこでどんな生活をしていたのか体験を聞いてほしい。そして自分自身がどうしたらいいのかを考えて」
すべての詩に英訳も付いています。伊藤さんは「恨みや報復の気持ちではありません。核兵器の被害者はヒロシマ、ナガサキで最後にしてほしいという広島の心を世界に伝えたい」と話します。
詩画集のタイトル「あしたきらきら」は、報復ではなく平和を願う被爆者の気持ちをくみ取り、「明るく希望のある未来にしたい」という思いを込めて付けました。(増田咲子)
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