おばあちゃん 広島で被爆/生命の強さ 歌で伝えたい
1984年、広島市中区生まれ。2006年9月にミニアルバム「WOMAN」でメジャーデビュー。これまでにアルバム5枚(うちミニアルバム3枚)、シングル8枚を発表している。
子どものころから当たり前のように聞いてきた祖母の被爆体験。広島出身のレゲエシンガー、Metis(メティス)さん(26)は「広島に生まれた私だからこそ、おばあちゃんの原爆や戦争体験を音楽活動を通して伝えないといけない」と語ります。
アルバム「ONE LOVE」「手をつなごう」に収録 |
祖母は14歳の時、広島市南部の江波で原爆に遭いました。曽祖母を目の前で亡くし、三つ下の妹も、おぶっていた背中で息絶えました。「おばあちゃんは、家族が過酷な亡くなり方をしたのに、きちんと情景を話してくれたんです」
6年間通った小学校(広島市中区)では、体育館で戦争に関する映画を見たり、原爆で傷ついた人たちの写真を見ながら先生の話を聴いたりしました。「先生たちが涙を流しながら訴えてくれました。『今、君たちは不自由なく暮らしているが、同い年の子どもたちがこんな目に遭っていたんだよ』って」。平和学習は大好きな時間でした。
広島に育ち、知っていて当たり前だと思っていた原爆の恐ろしさ。東京で暮らし始めて同世代の人たちが知らないことにショックを受けました。「悲惨な出来事を知らせ、命の大切さを伝えたいと思ったんです」。ジャマイカで生まれたレゲエの「ラブ・アンド・ピース(愛と平和)」という精神とマッチし、レゲエで伝えるにもふさわしいと考えました。
とはいえ、これまで作ってきた歌は自分の体験を基にしたものばかり。「戦争体験していない自分に伝えられるんだろうか」という不安がありました。知人を介して、被爆者の沼田鈴子さんと知り合いました。アオギリを通して原爆について語った沼田さん。「アオギリは何も話さないけど、原爆に遭っても一生懸命生きている。沼田さん、そしてアオギリに、生命の強さを教えてもらった」。祖母と沼田さんから受け取ったメッセージ。「アオギリの木の下で…」が生まれました。
発表した当初は「絶対分かんないだろう」と思っていました。しかし、ライブハウスに来ている若い人たちはしっかり聴いてくれました。「原爆ドームや原爆資料館に行ってみます」と言ってくれたり、実際に仕事で広島に行った時に寄ったりしてくれています。
「私一人で何とかできるとは思わないけど、みんなの心の片隅に覚えていてもらえれば」。「大人になれば分かるだろうから」と、これからも8月6日が近づくと、必ずステージで歌っていきます。(二井理江)
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