被爆の惨状や戦後の復興など、広島の原爆の全容が分かる絵本。絵は絵本作家西村繁男さんが担当し、当時の広島を細かく再現した。投下の経緯、放射線の影響、戦後の核軍拡なども地図や図解、年表を交えて解説している。1995年に福音館書店から出版。 |
地球上のみんなが被爆者/負い目なく伝えてほしい
1942年、広島市西区生まれ。ベストセラーの「ズッコケ三人組」シリーズは累計発行部数2300万部を誇る。佐々木禎子さんを取り上げた「折り鶴の子どもたち」(84年)の著書もある。防府市在住。
広島原爆の全体像を分かりやすく学べる絵本「絵で読む広島の原爆」。1995年に出版されて以来、平和学習用などで根強い人気があります。執筆した児童文学作家の那須正幹さん(68)は「絵本の一場面でもいいから記憶にとどめ、広島で何が起きたのかを伝えてほしい」と願っています。
きっかけは、広島を訪れる修学旅行生の世話をしていたボランティアの一言でした。「語り部の話に涙を流すが、原爆を天災のように受け止める子どもが多い。原爆は人災だということを事前に学習してほしいが、いいテキストがない」。那須さんは個人的な被爆体験ではなく、広島全体の被爆状況が分かる本を書こうと決めました。
客観的な文章ですが、被爆の惨劇がひしひしと伝わってきます。「あの日を知っている僕が書かなくて誰が書くのか」。被爆者の那須さんは執筆しながら感情が高ぶりました。あの日、爆心地から3キロの自宅で母親に背負われていました。3歳でしたが鮮烈な記憶が残っています。真っ黒になった人がぞろぞろと歩いていました。自宅の屋根が半分吹き飛びました。雨よけのために入った押し入れで教科書を見たのも覚えています。
那須さんが原爆を初めて書いたのは白血病で亡くなった佐々木禎子さんを取り上げた「折り鶴の子どもたち」(1984年)。それまでは「小学校時代はピカに遭った友達ばかりだったし、原爆はあまりにも身近すぎて文学の対象にならなかった」と振り返ります。しかし81年生まれの長男ができて心境が変わりました。先輩の児童文学作家の薦めもありました。
78年に広島から防府へ移り住んだことも影響しました。妻がPTAの仲間に「夫が原爆に遭っている」と話すと、「わお!」という反応が返ってきました。差別されるわけでも、同情されるわけでもありません。「原爆は歴史の一ページで、生きた化石を見たような気分だったのかもしれない」
そして95年、絵本の出版にこぎつけました。「折り鶴の子どもたち」の執筆を通し、知っているつもりだった原爆について勉強し直したいという気持ちもありました。
「被爆していないという負い目を感じなくてもいい。誰でも気軽に広島であったことを話せるようにしないと継承はできない」。那須さんは「被爆者」を「被爆国日本の国民はすべて被爆者であり、地球人もみんな被爆者」ととらえます。「そういう視点に立つと被爆していなくてもいくらでも語ることができる。あなたも、君も被爆者だと思って伝えてほしい」と力を込めます。(増田咲子)
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