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8・6を伝える

元ちとせさん「死んだ女の子」

あけてちょうだい たたくのはあたし
あっちの戸 こっちの戸 あたしはたたくの
こわがらないで 見えないあたしを
だれにも見えない死んだ女の子を

あたしは死んだの あのヒロシマで
あのヒロシマで 夏の朝に
あのときも七つ いまでも七つ
死んだ子はけっして大きくならないの

炎がのんだの あたしの髪の毛を
あたしの両手を あたしのひとみを
あたしのからだはひとつかみの灰
冷たい風にさらわれていった灰

あなたにお願い だけどあたしは
パンもお米もなにもいらないの
あまいあめ玉もしゃぶれないの
紙きれみたいにもえたあたしは

戸をたたくのはあたしあたし
平和な世界に どうかしてちょうだい
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように
炎が子どもを焼かないように
あまいあめ玉がしゃぶれるように

(ナジム・ヒクメット作詞、中本信幸訳)


ヒロシマに衝撃を受けた
歌で継承の力になりたい


力強さと切なさが、独特のこぶしの効いた歌声とともに突き刺すように心に入ってきます。「原爆や戦争が遠い世界のことと思っている人に、意識の持ち方を少しでも変えてもらえればうれしい」。歌手の元ちとせさん(31)は、真っすぐなまなざしで訴えます。

トルコの詩人が書いた詩が和訳され、曲が付きました。1978年の作品です。出会ったのは10年ほど前。プロデューサーから歌ってみるよう言われました。「歌の意味も分からず、自分の中で曲に対する何かがつかめてなかった」と振り返ります。録音しましたが、発表はしませんでした。

2002年のデビュー後、イベントで広島に来た時、平和記念公園と原爆資料館に立ち寄りました。衝撃でした。「最初は訳が分からなかった。だんだん頭が整理されてきて、悔しさや悲しさがこみ上げてきた」。その時「死んだ女の子」が頭の中に浮かびました。「ぜひ歌いたい」。その場でプロデューサーに言いました。

やるからには世界中に訴えたい、と国際的に活動する坂本龍一さんに編曲を依頼。被爆60年の05年に発表しました。「自分たちが受け継がないと風化し、忘れられてしまう。私は『音楽』という人生を選んだので、歌で少しでも力になれればと思うんです」


元ちとせさん

はじめ・ちとせ

1979年、鹿児島県瀬戸内町(奄美大島)生まれ。2002年2月に「ワダツミの木」でメジャーデビュー。これまでにアルバム9枚、シングル10枚を発表している。夫と1男1女。

この歌をきっかけに平和に対する意識が変わり、命の大切さを深く考えるようになりました。俳優の吉永小百合さんによる原爆詩の朗読を聴いたり、反戦歌を歌ったりする機会も出てきました。さらに6年近く前、女の子を出産。母になりました。子どもへの愛情やいとおしさが増すにつれ、歌に出てくる女の子の母親の気持ちを考えるようになりました。「曲への思いが強くなっている。歌うたびに力強い『死んだ女の子』になってるのかな」と感じます。

広島に暮らす子どもたちには「広島の人として生まれ育ったことに誇りを持って」と願います。原爆や平和について、教科書で学ぶのではなく肌身で感じ、意識していると考えるからです。また、大人に対しては、今の生活が当たり前、と戦争や原爆と子どもたちを無関係にせず、伝え続けてほしい、と考えます。

曲は毎年8月に期間限定で、インターネットを通じて配信しています。「いつでも聴けると、意識しなくなってしまう。歌を聴いて『この季節が来たな』と考えてもらえれば」。毎夏の配信とともに、これからも歌い続けます。(二井理江)



私がイチオシ☆ 中2・坂本真子

まず題名に衝撃を受けました。「死んだ」とストレートに表現してあるからです。元ちとせさんの力のこもった独特の歌声と、原爆で死んだ女の子が訴えているような歌詞が、一文字一文字胸に強く焼き付けられます。

心に響いた歌詞は「炎がのんだのあたしの髪の毛を」です。イメージしやすい歌詞になっていて、ヒロシマの原爆の悲惨さとともに、死んでいった人たちの悲しみや苦しみを感じました。

とても怖く悲しい歌ですが、二度と戦争をしてはいけないという強い気持ちがわいてきます。


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