小学6年のとも子が夏休みに1人で訪れた平和記念公園。原爆の子の像の前で少女サダコに出会う。サダコの幼いころの体験を知るとともに、鶴に乗って一緒に世界を旅するなど思いがけない冒険をする。1993年完成。文部省選定、日本PTA全国協議会などの推薦作品となっている。 |
戦争ごっこに衝撃受けた/日本アニメで平和教育を
1949年、静岡県金谷町(現島田市)生まれ。75年に渡仏。82年に「フランス広島・長崎研究所」を設立した。現在、フランス平和市長会議顧問。歌人としても知られ、2000年度朝日歌壇賞受賞。
日本語版のほか英語版、フランス語版があり、世界65カ国以上で上映されているアニメーション「つるにのって とも子の冒険」。最初の日本語版の完成から17年たった今も、世界各国での上映が続いています。原案を出した美帆シボさん(60)は「今もまだ飛んでるのね」と笑顔を見せます。
シボさんはフランス人と結婚して、パリ近郊のマラコフ市に住んでいます。平和活動を始めたきっかけは30年ほど前でした。家で1日預かった8歳になるフランス人の男の子が、1人で戦争ごっこをしながら「だめだ!今度は原子爆弾を投下だ!」と言ったのです。「自分の2人の子も同じ遊びをするのかしら、と恐ろしくなりました。子どもたちに原爆について教えないといけない、と思うようになりました」と振り返ります。
「アニメで平和教育をしよう」と思いついたのは1980年代半ば。フランス国内で講演するだけでは、活動の広がりに限界を感じていたからです。原爆に関する資料や映画も大人向けがほとんどでした。
当時、フランスでは、日本のアニメ番組がはやっていました。鉄腕アトム、キャプテン翼、ドラゴンボール…。子どもたちに大人気でした。80年代にフランスでテレビ放映されたアニメの80%が日本製だったそうです。
シボさんは、日本のアニメの面白さと技術の高さを生かしたい、と日本での制作にこだわりました。ストーリーは、2歳で被爆し、10年後に白血病で亡くなった佐々木禎子さんと、平和記念公園(広島市中区)にある原爆の子の像を基にしました。「悲しいだけでなく、見終わった後に、今も平和を望んで努力している人がいることを家に帰って話せるような、希望の象徴にしたかった」とシボさんは語ります。
93年にまず日本語版が完成。94年に英語、フランス語版を作るとともに、日本語の絵本も出版しました。この年の秋にはニューヨークの国連でも上映しました。
ユネスコからは「アフリカの子どもたちは映像を見る機会が少ない。ラジオドラマにしてほしい」との要望も寄せられました。NHK国際放送に相談したところ、被爆60年を迎えた2005年にラジオドラマ化。24の言語で放送されました。
中高生には「今はいろんなことを見たり聞いたりしてほしい。何かの機会にパッと、何をすべきか答えが見えてくることがある」とアドバイスします。そして「私自身が若いころ年配の人たちに平和活動を応援してもらったように、若い人が一生懸命頑張っていたら、手伝ってあげたい」とエールを送ります。(二井理江)
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