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8・6を伝える

松谷みよ子さん「ふたりのイーダ」

book 広島にあるお母さんの田舎に、東京からやって来た直樹とゆう子。「イナイ、イナイ、ドコニモ…イナイ…」と誰かを求めてコトリ、コトリと歩き回る小さないすに出会った。いすと仲良く遊ぶゆう子。ゆう子のことを捜していたイーダだ、と主張するいす。近所に住むりつ子と謎を解いていくうちに、直樹は原爆の悲劇を知る。1969年に出版。79年に国際児童年記念特別アンデルセン賞優良作品に選ばれた。

死者の思い心に染みつく/戦争くぐり抜け平和実感



松谷みよ子

まつたに・みよこ

1926年、東京都生まれ。51年に出版した初の童話集「貝になった子供」が第1回日本児童文学賞新人賞を受賞した。自身の娘をモデルにした「ちいさいモモちゃん」シリーズなど出版された本は300冊前後に上る。70年「民話の研究会」を発足。代表を務める。

40年を過ぎた今も、色あせることなく読まれ続けている児童文学「ふたりのイーダ」。空き家にあった小さないすをめぐって謎解きをしているうちに、「あの日」の悲劇がじわじわと心に染み入って来ます。「いろんな戦争文学がある。私の場合は、書きたいように書いたらこうなったんです」とほほ笑みます。

「こんなこと言ったら笑われるかもしれないけど」と前置きした上で、「小さい子用のいすが『イナイ』と言ってコト、コト、と訪ねてきた気がしたんですよ」と語ります。「誰を捜してるの」といすに聞きました。新幹線がなかった当時、列車で広島まで来たところで、原爆で亡くなった人の「思い」がいすに入ってきた気がしました。それがこの作品につながったのです。

平和記念公園(広島市中区)近くのホテルで書き上げた最終章。窓を開けたら雪が降っていました。「鎮魂の思いがしました」

友人で画家の故丸木俊さんから、川に浮いた死体が満潮時に海から逆流してくる話を聞きました。広島近くの島にあった尼寺では、被爆者が横たわった跡が床板にくっきり残っていた、と聞きました。「生々しい思いが、今も心の裂け目に染みついているの」。昨夏、広島を訪れた時も、原爆ドームそばの川にたくさんの死者がいる様子が目に浮かびました。

「原爆という恐ろしいものが世の中にあり、大変な数の人が死んでいった、ということを私たち日本人が伝えないといけない」と強く思います。原爆で戦争が終わった、という見方に対し「何十万人も死んだのにあんまりだ」と考えます。

自身の戦争体験も執筆を後押ししています。食糧難でひもじい思いをしました。東京にあった家は3軒とも戦災で焼けました。焼け跡に立ち「たった1本持っていた口紅を引いて『これで人並みになりました』って言ったのよ。負けはしない、って思いでね」と振り返ります。

「戦争の中をくぐり抜けてきて、平和がどんなに大切か、実感があるのね」との思い。絵本「まちんと」「ミサコの被爆ピアノ」にもつながっています。

東京都練馬区の自宅の庭に建てた「本と人形の家」を毎週土曜日に子どもたちに開放。地域の人たちが紙芝居や読み聞かせをしています。人形劇も上演。心の豊かさや平和への思いを伝えています。「絵本だったり文学だったり、語りだったり。役に立っていけばうれしいと思います」と目を細めました。(二井理江)

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「イナイ、イナイ」と言いながら、コトリ、コトリと歩いているいすの悲しみが心に深く染みてきました。今までそこにあったものが急になくなったら、とても悲しいはずです。そんな悲しみがいすとゆう子、そしてりつ子を結び付けた気がします。

直樹から真実を聞いてばらばらになって散ってしまったいすに、もう少し何かできなかったのかな。いすが人間だったら、生きがいを失ったのと同じでしょう。

幸せな日々を祈る最後の直樹の言葉に、胸が痛くなりました。


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