被爆樹木の保存運動は新聞やテレビでよく取り上げられるね。平和記念公園(広島市中区)にある被爆アオギリの種が世界に広がり二世、三世が芽吹くなど、その存在は国内外で知られている。
原子爆弾の投下で、樹木ももちろん人間と同じように爆風や熱線、放射線を浴びた。
原子爆弾災害調査報告集(1953年)には、1945年から50年まで爆心地から0―50メートル、50―500メートル、500―1000メートルなどとエリアを分けて調査した結果が載っている。そしてその概要には「被害地の樹木や草本に異常型乃至畸形(いじょうがたないしきけい)がかなり認められた。(中略)1km以内の範囲において所々に見られたが、それ以外にはほとんど見られず(後略)」とある。つまり爆心地から1キロ以内では草木に異常があったということだ。
さらに、やはり同報告集にある「放射線の主として植物への影響」では、45年9月21日から10日間、現地調査した科学研究所の副研究員が草花などの状況を挙げて「異常個体存在の範囲を決定することは不可能であったが、筆者の発見したものは爆央より1km以内に存在した」と記している。
1キロ以内というのが一つのポイントのようだ。ただ人間に比べて1キロというと、ずいぶん狭い範囲の気がするね。
放射線の一つであるガンマ線のポプラへの影響を研究している森林総合研究所(茨城県つくば市)の西口満主任研究員=分子生物学=に聞いてみた。
「一般的に樹木は耐性が強い。人間は、7グレイの被曝(ひばく)で死に至る可能性があるが、ポプラでは50グレイ程度ではほとんど影響がなかった」という。
ただし、影響を受ける線量は、樹木の種類や成長の度合いによっても違うそうだ。「比較的弱いのがマツなどの針葉樹。チェルノブイリ原発事故により、周辺のヨーロッパアカマツは60グレイ以上の被曝で枯死した。1グレイ以上の被曝で一時的に成長が悪くなったという報告もある」とも教えてもらった。
では広島の場合、爆心地からの距離がどのくらいだと影響を受けたんだろう。
被爆者が浴びた放射線量を推定する計算方式「DS02」によると、チェルノブイリでマツに異常が出た1グレイに近いのは、原爆投下直後1・19グレイが降り注いだ1・3キロ地点だ。
西口さんの研究やチェルノブイリの事故とは降り注いだ時間も違うので単純ににあてはめるわけにはいかないが、調査報告集と照らし合わせ、単純に線量だけをみても約1キロ以内では放射線による異常が出ていたと考えていいだろう。もっともこの範囲内は爆心地から近いため「熱線や爆風などのによる環境変化の影響の方が大きかったのでは」と西口さんは言う。
一方、広島大原爆放射線医科学研究所(原医研)の星正治教授は旧ソ連の核実験場があったセミパラチンスクなどでの数値を基に「黒い雨が降った地域でも1グレイならば降り注いだ可能性がある」とみる。
爆心地から最も近い被爆樹木は、370メートルの中区基町にあるシダレヤナギだ。原爆により、幹が吹き飛んだが、残った根元から芽を吹き返した。樹木の保存に約20年間携わってきた樹木医の堀口力さん(63)=西区=は「被爆後も生き延びた樹木は戦後、復興への心の支えとなった。たとえ被爆者がいなくなっても被爆の事実を伝え続けてほしい」との思いを込め、精を出す。(馬上稔子)
爆心地から約2キロ以内にある、被爆以前から生えていたとされる樹木。1996年以降、広島市が台帳に登録し、現在、55カ所に約160本ある。一般の人が立ち入りできない個人宅にあるものは登録していない。
放射線が人体などに当たった結果、どれだけのエネルギーを人体などが吸収したかを表す単位。
1986年4月、旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発4号機の試験運転中に原子炉が爆発し、火災が発生。大量の放射性物質が大気中に飛散し欧州を中心に汚染が広がった。