爆心は広島市中区大手町1丁目の島外科(当時は島病院)上空約600メートルといわれているね。原爆はその上で落とされたのかな。8月に広島市中区であった平和展で「エノラゲイ号は原爆をどこで投下したか」の講演をした宇品中(広島市南区)の永田邦生教諭(48)=理科=に尋ねた。
「そんなことあり得ませんよ。動いている飛行機から落としたんですから」。きっぱり否定された。中学3年で習う「慣性の法則」がポイントだという。
飛行機から落とされた爆弾はその飛行機の進行方向に、最初は飛行機と同じ速度で水平方向に動こうとする(慣性の法則)。しかし実際には重力があるから放物線を描いて落ちるんだ=図1。爆心よりも手前で投下されたということだね。
ではどのくらい手前なんだろう。
エノラ・ゲイ号の乗組員の証言などから原爆は投下されてから爆発するまで43秒とされている。物体は放物線状に落下しても、落ちるのにかかる時間は真っすぐ下に落ちたときと同じ。やはり中学3年で習う「自由落下の法則」だ。
ということは、爆心から43秒前にエノラ・ゲイ号がどこにいたかが分かれば、そこが投下地点だ。それは速度が分かれば逆算できる。そして進行方向が分かれば地図上で特定できる。
永田教諭は学校教育に使うのが目的なので、速度をエノラ・ゲイ号が飛び立ったテニアン島からの距離とかかった時間から計算した平均速度にするなど、いろんな仮定を前提に「府中町上空」と推測している。
実際はどうだったのか。米軍資料を入手し「原爆投下の経緯」「原爆投下報告書」(いずれも東方出版)などの訳と解説を手掛けた徳山高専(周南市)の工藤洋三教授(58)により正確なデータを基に聞いてみた。
まず速度。1945年8月2日に米航空軍司令官が作成した「野戦命令」では時速200マイル(時速約322キロメートル)と書いてある。しかし投下後の最終報告には速度の記載はない。米国の出版物「ヒロシマへの7時間」(ジョセフ・マークス著)「エノラ・ゲイ―ドキュメント・原爆投下」(ゴードン・トマス他著)はそれぞれ時速285マイル、時速200マイルと記述している。
これら諸説を踏まえた上で工藤教授は時速200マイルとみる。「(エノラ・ゲイ号と同じ)B29が東から攻撃した他地区の状況を調べると平均時速330キロメートル。原爆のときだけ変えることは考えにくい。命令書通りだったはず」
秒速は89・4メートルとなり、43秒前は3845メートル手前となる。
次に方角。エノラ・ゲイ号の航法士セオドア・バンカーク氏の飛行記録は、攻撃始点を緯度・経度で記している。野戦命令通りの場所で三原市上空を指す。「ここから正確な爆撃に向けて高度を保って西へ安定飛行した」と工藤教授は解説する。
乗組員の証言などから書かれた前述の2冊はいずれも投下前に5度南に修正をしたと記している。つまり爆心から見ると、東よりも5度北側から進入してきたわけだ。
地図に落としてみた。東区矢賀、JR矢賀駅の南南西約100メートルの地点だった。工藤教授は「実際には爆弾の空気抵抗などもあるが、そう大きくははずれない。その周辺であるのは間違いない」と結論づけている。(吉原圭介)