米軍が広島と長崎に投下した原爆をそれぞれ「リトルボーイ(坊や)」「ファットマン(太っちょ)」と呼んでいたと聞いたことがあるよね。模型の写真を見ると、広島型は細長く、長崎型はずんぐりとしている。
こんなに形が違うのは、2つの原爆の構造が全く違うためなんだ。その仕組みを長年、原子核物理学を研究している葉佐井博巳広島大名誉教授(76)に聞いた。
広島型の構造はこうだ。細長い筒の両端に、核分裂に必要な量のウランを2つに分けて備え付ける。そして、片方のウランに爆薬を仕掛けて、2つのウランがぶつかった瞬間、次々に核分裂が始まり、膨大なエネルギーが発生する。
一方、長崎型は爆弾の中心部にプルトニウムを置き、周りにまんべんなく爆薬を配置する。一気に全方向からプルトニウムに圧力をかけ、核分裂を起こすんだ。
でもなぜ、わざわざ同時に2種類の原爆をつくったんだろう。「原爆はこうして開発された」(青木書店)を執筆した東京工業大の山崎正勝教授(63)と、拓殖大の日野川静枝教授(59)に、背景をひもといてもらった。
発端は1938年、ドイツの物理学者がウランの核分裂現象を発見したことにさかのぼる。これは科学上の大発見だった。このニュースは瞬く間に世界の科学者に知れ渡ったんだ。
問題なのは、核分裂を使って一度に大量の人を殺せる爆弾を造ろう、と考えた人がいたことだよね。当時、第二次世界大戦を前に世の中はきな臭い雰囲気に包まれていた。特に英国では、新兵器開発が進められ、核分裂の発見も、すぐに原爆構想へとつながった。
そして41年、英国の構想が米国に伝わると、ルーズベルト大統領は科学者たちに開発を指示したんだ。ただし、この時点ではウラン型を想定していたようだ。科学者の間でプルトニウムの核分裂も予想されていたけれど、まだ実現できるレベルにはなかったからだ。
42年、米国は国家を挙げて原爆開発に乗り出す「マンハッタン計画」に着手した。それまでに、プルトニウムを作りだし、核分裂させることに成功。それも開発目標の一つに加わった。そして、原爆の研究が進むうちに、第2目標だったプルトニウム型開発が優先され、順位が逆転したんだ。
なぜなら、ウラン型原爆に必要な「ウラン235」は、自然界にはごく微量しか存在しない一方で、プルトニウムは、核分裂を持続させる装置「原子炉」さえあれば、どんどんできることが分かったからだ。その結果、アメリカは45年7月までにプルトニウム型2つとウラン型1つの計3個の原爆を完成させることになる。
葉佐井さんは被爆者でもある。「新しい発見を求めて研究にまい進するのが科学者。そして新しい武器を持てば使いたいのが軍人だ。でも人類のためにならないこんな研究は二度とあってはならない」と話している。(桑島美帆)