原子爆弾が落とされてから62年がたつ。確かに今も申請する人がいるよね。疑問を抱くのも不思議ではない。被爆者の悩みなどを聞いている、原爆被害者相談員の会(広島市中区)の三宅文枝事務局長(54)に聞いてみた。
二十数年間で、約200人の手帳申請を手伝った。そのほぼ半数が長年申請していなかった理由に「差別が嫌だった」と説明したと振り返る。自分やその親族に対するものや、子どもの結婚の障害になることを避けたかったんだね。
被爆者健康手帳の申請書を広島市に出す人たち(10月15日) |
手帳の申請は1957年から各都道府県と広島市、長崎市で受け付けている。手続きには、原爆投下直後に配られた罹災証明など公的機関による証明書や当時の写真、または証人2人が必要だ。面談や過去のデータとの照合などを経て、認定されると交付される。
ただ制度はあっても「無理してまで申請しなくても」と思っていた人は多い。高齢化し、医療費補助の必要などからいざ申請しようとすると、今度は証人が見つからずに困るケースが目立つと三宅事務局長は指摘する。
10年近く証人を捜した広島市安佐南区、無職大西三吾さん(79)は「昔は働くことに精いっぱいだった。年をとって申請しようと当時の記憶などを整理し始めたが、証人になってくれそうな人はもう亡くなっていた」という。あきらめていたところ昨年、近所に住む友人がその場にいたことが分かり今年手帳を手にすることができた。
もっとも証人がいたらすぐにもらえるとも限らない。厚生労働省によると、昨年度は全国で1103人が新規申請し、742人が認められた。交付率はこの年67.3%。つまり3人に1人は却下されたんだ。
昨年度、356件の申請を受け付けた広島市原爆被害対策部の荒谷茂課長補佐は「却下の理由は主に証拠不足」と話す。最近の新規申請者の多くは、市や県などによる被害状況の調査報告書に含まれていない人が多いため、証人が重要になってくる。でも「申請者や証人の高齢化により記憶が薄れ、さらに難しくなっている」らしい。
仕事への影響などをおそれ、申請していなかった安佐北区の小林英夫さん(74)は8年前に証人2人の証言を添え、弟と一緒に申請したが、却下された。母親を捜し、8月7日に佐伯区八幡から2人で入市したというが、母親の手帳申請書に書かれた帰宅の日付と食い違ったのが理由だった。
すべての申請を認めることはできないという行政側の理屈は分かる。ただ「証人捜し」など客観的な証拠を得るのが年々難しくなる中、本人の当日の記憶をできる限り詳しく聞き、信用に値すると判断できれば認定するなど、弾力的な運用があっていいと思う。機会を逃したというだけで本当に被爆した人が、補償を受けられぬままになっているという事態は許せない。(馬上稔子)