原子爆弾によって亡くなった人の数は以前、このコーナーで取り上げたよね。広島では1945年に約14万人(誤差±1万人)、長崎では約7万4000人と推定されている。でも現在生きている被爆者はどのくらいいるんだろうか。被爆者健康手帳を持っている人の数を管理する厚生労働省に聞いてみた。
答えは今年3月末で、計25万1834人だった。被爆していてもいろんな事情から手帳を申請していない人たちもいるだろうから、実際はまだいるはずだ。
手帳を持つ人は47都道府県すべてにいるという。目立って多いのはやはり広島で約11万4000人だ。次に長崎の約6万6000人。いずれも人口で見るとほぼ25人に1人の割合だ。福岡、東京、大阪、神奈川、兵庫、山口と続く。
手帳の交付が始まったのは57年。この年の20万984人から増え続け、80年には37万2264人となった。この時期に最多になった理由を、厚労省と広島市は「(放射線の影響を受けたとされる)認定地域の拡大と援護策の充実」と説明する。
最初は健康診断や治療に限られていた援護策も、後に手当の支給などに拡大した。それにより申請者も増えたという。
また日本原水爆被害者団体協議会(東京都)の岩佐幹三事務局次長(78)から「最初のころは被爆者への差別が残るなど、申請できなかった人もいた」と教えてもらった。被爆者運動の影響などで周囲の理解が広がり、被爆したことを隠していた人も申請するようになったというのもあるんだね。
一方、人数をグラフで表すと、80年以降は右肩下がりだ。
「制度ができて20年以上がたち、ほとんどが申請し終えた。一方、高齢化が進んで亡くなる数が上回り始めた」と厚労省。現在、手帳を持つ人の平均年齢は74.59歳だ。今は25万人を超えていても、時とともに数は減り続ける。人間の生命に限りがある限り、いつの日かゼロになる日が必ずやってくる。そしてそこで問題になるのは被爆体験の継承だ。
「被爆者本人からの証言をあと何年聞いてもらえるか」。原爆資料館(広島市中区)の谷川晃副館長は、危機感を持つ。広島平和文化センターには現在70から81歳までの27人が被爆体験証言者として登録しているが、ここ2年間で5人が亡くなった。被爆時の状況を詳細に覚えているのは若くても当時10歳前後だった人たちだという。「証言者の年齢や体力を考えると、10年後には今と同じ活動は難しい。証言に代わる方法も考えなければ」
証言を約20年間続けている竹岡智佐子さん(79)は「被爆した本人の言葉だから核兵器の悲惨さを実感してもらえると思う。体が動く限り続けます」と力を込める。私たち若い世代がもっと心して、その言葉を受け止め、リレーしていかないといけないと感じた。(馬上稔子)
修学旅行生や一般の希望者に原爆投下時の様子を話し核兵器や戦争の悲惨さを訴えるボランティア。広島平和文化センターの27人のほかにも、被爆者団体や市民団体を通じて活動する人もいる。