ふーむ。核実験をした国にとって、核兵器の廃絶を目指している被爆地からの抗議は耳の痛いものかもしれないね。文書は読まずに捨てられている可能性もある。調べてみた。
「返信が来ることがあるんですよ。読まれてると思います」。そう言って、広島市国際平和推進部平和推進担当の佐々木敦子主幹が見せてくれたのは英文の手紙だ。昨年届いた米国トーマス・シーファー駐日大使と、英外務省のキム・ハウェルズ閣外相からの返信だ。市に届いた核実験抗議文への返信としては、最も新しい。
広島市に昨年届いた米国からの返信(左)と、英国からの返信(右の2枚) |
どちらも、昨年2月に両国が共同で行った臨界前核実験について「核抑止を維持するため実験は必要」と正当性を主張している。シーファー大使の返信は広島県、長崎県と長崎市、ハウェルズ閣外相の返信は長崎市にも届いている。
広島市が抗議文を送ったのは、1968年のフランス水爆実験から昨年10月の北朝鮮核実験までで593回。相手国の元首や駐日大使あてに直接郵送したり、レタックス(電子郵便)を使ったりするそうだ。
このうち返信があったのは、記録が残る74年から昨年4月までで21通。決して多いとは言えないが、抗議の声は一応届いていると考えていいのかもしれない。
その内容を見ると、時代ごとに特徴が読み取れる。米国と旧ソ連が冷戦を繰り広げていたころには米国は「核兵器の脅威を減らす努力をしているがソ連の協力がない」(83年)と相手国を批判。一方の旧ソ連は「米国が(核実験の)中止を決定すれば停止する」(87年)―。互いに責任を押し付けながら、にらみ合っている様子が伝わってくるね。
冷戦が終わると、国を名指しで批判することはなくなったけれど、古くなった材料の「影響を検査する(ための実験)」などと、正当化する考え方は変わっていない。
広島市国際平和推進部の手島信行・平和推進担当課長は「回答してきたことは評価するが、実験が新兵器の開発につながるおそれもあり、内容については認められない」と批判の姿勢を崩さない。今後も被爆地からの抗議の声を粘り強く発信する方針だ。
一方、民間団体の広島県原水禁は県平和運動センターと連名で、広島県原水協は県被団協(金子一士理事長)と一緒に、抗議文を送っているけれど、返信はないという。 ちなみに、返信するかどうか、決めるのは誰だろう。在日米国大使館に聞いてみた。
「判断するのは大使自身」という。2005年に広島を訪れたシーファー大使は抗議文を読み、個人的にも大変親しいブッシュ米大統領に内容を伝えているそうだ。
継続の力を信じたい。(見田崇志)