水を求めて川に飛び込み、亡くなっていった被爆者の話は聞いたことがあるよね。生き残った人の絵には、水面に漂う死者の様子が描かれている。あの人たちはどうなったんだろう。
まず、爆心地近くの川の護岸工事をしたときに、遺骨は出てこなかったのか調べてみた。原爆ドーム前を流れる元安川のうち、原爆投下の目標となった相生橋から川下の元安橋までだ。
国土交通省太田川河川事務所などによると、この区間では1977年から99年まで、4カ所の護岸工事と3つの橋の架け替えをしている。96年の西岸の護岸工事では川底から約4000点の被爆瓦などが見つかったが、いずれも遺骨が発見されたという記録はない。
同事務所の元山勉副所長は61年度か在籍した元職員ら20人に聞いてもらったけど、その他の河川を含め「遺骨が出たという話は耳にしたことがない」と答えたという。別の河川の工事を管理する県も元職員7人に問い合わせたが同じ答えだった。
死体を引き上げた場所で当時の体験を説明する和田さん(原爆ドーム前) |
「遺骨が川底に埋まるのはよほどの条件が重ならなければ、ありえませんよ」。河川の環境について研究している広島大学大学院工学研究科の日比野忠史准教授(土木工学)は説明する。水中に放置された物体は、埋まるよりも沖へ流れていく可能性の方が高いそうだ。ましてや広島市内の川は海水が混じり、浮力が大きいのでなおさらだ。
うーん、すると犠牲者は海へ流れてしまったのかな。調べてみると実は、そうではないことも分かった。
被爆直後の混乱の中でも、ちゃんと死体を引き上げて火葬していた。「潮の流れで上流へ下流へと漂流するおびただしい死体を、2、3人で引っ張りあげた」と話すのは、旧陸軍の兵士として被爆した日から約1週間死体処理に当たった和田功さん=広島市中区。3日目と4日目に原爆ドーム前の元安川での体験を振り返る。海に流れる前に、弔ってあげていたんだ。
1日で50体以上を河原で火葬したらしい。「約30から40センチ掘って焼いた後、土をかけ、木や石を墓標にした」。この場所は太田川河川事務所が、86年から翌年にかけて護岸整備をしている。しかし、遺骨は出てきていない。それも変だな。
広島市原爆被害対策部の福岡美鈴調査担当課長は「地域住民やお寺の方が無縁仏として原爆供養塔に納めた可能性がある」という。取材をしてみてなんとなく、救われた気がする。ただ被爆後の混乱期があったため、いつだれがどこで遺骨を掘り起こしたかという記録は残ってない。(森岡恭子)