核実験反対などを訴え、平和記念公園などで横断幕を手に座り込む人々を見ることがあるね。うーん。厳しいけれど、素直な疑問とも言える。
まずは自衛隊のイラク撤退などを求めて約110人が座り込んだ3月20日、私も原爆ドームを背に初めて並んで座ってみた。イラク戦争開戦から4年の節目の日だ。
これで何が変わるのか、実感はない。隣の男性に声を掛けてみると、約30年参加しているという。「座り込みだけじゃ戦争はとめられんじゃろ。でも自分にできることはこれしかない」と話す。確かに、誰もが参加しやすい抗議行動ではあると感じる。
参加者には被爆者や労働組合員が多い。「原水爆禁止広島県協議会」という同じ名前を持つ別々の団体―核兵器廃絶などを目指す「広島県原水協」と、核兵器だけではなく原子力発電も含めてあらゆる国の核に反対する「広島県原水禁」―や、被爆者団体などが呼び掛けているという。
いつから座り込みは始まったのか。
ドーム前に座り込む記者(手前右端) |
県原水禁と県原水協の記録によると、一番古いのは1957年3月から4月にかけてだ。原爆ドームそばで土産物店を営み、観光客に体のケロイドを見せながら原爆の悲惨さを訴えた吉川清さんたち4人を中心に座り込んだ。英国の水爆実験中止を原爆慰霊碑の前で訴えた。
でもなぜ、座り込みだったのだろう。
参加した人のうち生存者を見つけることができなかったが、県被団協(坪井直理事長)の木谷光太事務局長は、「じっと座り込むことによって、がんとして譲らない抵抗の姿勢を示せた。故森滝市郎・県被団協理事長が提唱した非暴力行動による平和運動の典型的なものとして定着していった」。被爆者団体である県被団協(金子一士理事長)の吉岡幸雄事務局長は「核実験に怒りを爆発させた被爆者らが自然発生的に始めたのだと思う」と推測する。
で、問題の「意味」だけど―。実は、参加者も同じ問いかけをしながら座っていたんだ。
県原水禁の横原由紀夫常任理事は「座り込んで抗議するだけでは自己満足にすぎない。自分も疑問をもってきた。しかし国際的な場所でのアピールと合わせることで大きな力になる」。一人一人の力は小さいけれど、集まり、座って抗議の姿勢を見せることが、世論や観光客へ熱い思いとして伝わるという。県原水協の高橋信雄代表理事は「二度と広島・長崎の体験を繰り返させないため行動で示さなければ」と、力を込める。(森岡恭子)