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2000年5月15日
2 少数派住民
ニューメキシコ州サッコロ市のメーンストリートに沿って並ぶフ ァミリーレストランの一つ。前日、ニューメキシコ州立大学付属の エネルギー物質研究試験センター(EMRTC)の試射場現場を案 内してもらったダマシオ・ロペスさん(56)と、遅い朝食についた。 日曜の朝とあって家族連れらでにぎわっていた。 ![]() 「センターで働いている知人がいるから紹介しよう」。ロペスさ んはそう言って、食事中の三十がらみの男性の席へ向かった。「こ ちらは広島からきたジャーナリストだ。よかったら食後にでもセン ターのことを話してくれないか」。もう一人の従業員と一緒だった 彼は、突然おびえたような表情を浮かべ、手を横に振って拒絶の意 思を表した。 「彼は大学を卒業して三年目にようやく今の仕事を得た。職を失 うかもしれない危険は冒せないんだよ」。席に戻ったロペスさん は、貧しい地域の事情を説明した。人口八千人の過半数は、アメリ カ社会では少数派のスペイン系である。一九八六年春、試射場での 劣化ウラン弾の使用文書を彼にリークした十数人の従業員の多く は、解雇されていた。 交通事故を契機に故郷に戻り、劣化ウラン弾の実射試験を知った 元プロゴルファーのロペスさん。「古里の自然や住民が危険にさら されているのを看過できない」と彼はその後、大気中や試射場の放 射能汚染データの開示を州環境保護局に求めるなど、活発な活動を 繰り広げた。 ![]() だが、環境保護局はサッコロ市に設置していた大気モニターを撤 収。のちに出されたデータは「安全基準内で問題なし」だった。 事実を隠そうとする当局に対し、ロペスさんは政治を通じて劣化 ウラン弾の影響を明らかにし、テストの中止を図ろうと、その年の 秋の市長選に向け、七月に出馬を表明した。ところが、八月半ばの 夕刻、自転車で帰宅しているところを何者かに襲われる。 「家のすぐ近くでね。茂みから飛び出してきたらしい。五、六時 間後に気づいた時は、病院の手術室だった」。右側頭部に深手を負 ったうえ、ろっ骨や足の骨がいくつも折れていた。通りがかった看 護婦が道路そばの溝に自転車ごと落ちているロペスさんを見つけ、 病院へ運んだ。彼の顔や体には、ウイスキーがたっぷりとかけられ ていた。 ![]() 実射試験の中止を求めるロペスさんや一部の住民の取り組みにも かかわらず、テストは続いた。が、湾岸戦争が終わって二年後の九 三年、大学側は「試射場での劣化ウラン弾の使用を中止した」と公 表した。 「仮にそれが事実だとしても、七二年から続いた実射試験による 汚染問題は残ったまま。州政府や大学側は何の問題もないと言い続 けているけど、試射場はもちろん、地下水汚染が進んでいる可能性 が高い」と、ロペスさんはみる。 七年前にがんで亡くなった彼の父親をはじめ、白血病などさまざ まながんや、先天性障害を抱えた新生児の誕生も増えているとい う。「多くの住民があちこちで言っていることだよ。しかし、実態 を調べようとすると、みんな口をつぐんでしまう」 長年にわたって抑圧され、これまで声を上げることで一度も実利 を得たことのない住民たち。彼らは「沈黙」することで、地域での 職場の確保など、目前の利益を守っているのだという。 「私にはみんなを責めることはできない。ただ、人々の命を守 り、汚された大地から本当の自然を取り戻すために働き続けるだけ だよ」 十四年間、劣化ウラン問題を追い続けてきたロペスさん。彼は 今、九八年秋に生まれたイラク人らも加わる市民組織「国際劣化ウ ラン研究チーム」の有力メンバーとしても活動する。 |
![]() 「79歳の母の健康が心配でね」と、自宅で母親のアデリア さんに寄り添うダマシロ・ロペスさん(ニューメキシコ州サッコロ 市) |
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