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2000年6月21日
4 湾岸退役兵
破壊された飲料工場の建物。がれきのままの民家。中央で崩れた 橋…。 バスラ市内に今も残る湾岸戦争時の多国籍軍による空爆の爪痕 (つめあと)を見た後、再びサダム教育病院を訪ねた。「腫瘍(し ゅよう)病棟」に入院中の湾岸戦争退役軍人に「短時間なら話が可 能」との許可が得られたからである。 ![]() 「現在、二人が入院中だけど、どちらも予断を許さない状況です」。担当医のウイザム・ナフィーさん(32)の説明を受けながら、 エレベーターで五階の病室へ向かった。「十日前にも一人の退役兵 を悪性リンパ腫で失ったばかりなんですよ…」 四人部屋の窓辺のベッドに横たわるベイシム・アビッド・アル・ サダさん(29)。湾岸戦争から三年後の一九九四年、慢性骨髄性白血 病と診断され、以後入退院を繰り返す。 「軍隊ではトラックの運転をしていた。湾岸戦争前から毎日二 回、バスラからクウェート市まで物資を運んでいた。ハイウエーを 使ってね」。左腕に輸血を受けながら、サダさんは通訳を務めてく れるナフィーさんにアラビア語で言った。 「アメリカの空爆(九一年一月十七日)が始まって間もなくだっ た。クウェート内にいる時に攻撃を受けて、荷台に乗っていた二人 が殺された。もう一人は大けがをした。自分も運転席から投げ出さ れたけど、けがもせずに助かったよ」 ![]() 黒い服の上からも分かるほど、サダさんの腹部は膨張していた。 ナフィーさんによると、肝臓や脾(ひ)臓が張れ、腹部に水がたま っているのだという。 「とにかく、戦争中はちりと油田の煙がすごかった。砂漠の中を 戦車のような大きな物が動き回るから、砂嵐(あらし)がなくても 前が見えにくい時があった。戦争中にたくさんの友達が死んだのが つらい…」 サダさんが通いつめた道は、アメリカ兵らが「死のハイウエー」 と名づけた、イラク軍にとって大きな犠牲を出した場所である。大 量の劣化ウラン弾が使われたその地域で、サダさんはちりと一緒に 劣化ウランの微粒子を体内に取り込んでしまった、とナフィーさん はみる。 だが、彼が知るのは自分が「貧血」であるということだけ。劣化 ウランという言葉も、その影響も告げられていない。 病気のために九四年に除隊したサダさんは、その年に結婚。四歳 になる息子がいる。「病気の前はどんなに働いても疲れなかったけ ど、その後は関節痛もあって働いてないんだ。父親が生活の面倒を 見てくれているから心配はしてない。元気になってまた家に帰るの を楽しみにしているよ」 サダさんは今回の入院で、慢性から急性に転化していると診断さ れた。そのことを知らない彼は、濃いひげの間から白い歯をのぞか せ、かすかに笑った。 ![]() 「隣のベッドの退役兵はマーリック・カーディム・ザーミルとい う名前で、三十六歳。急性白血病と診断されて一週間だけど、既に 歯ぐきから出血している。危ない状態だね」。ナフィーさんは、そ う言ってザーミルさんの脈を測った。 徴兵でトラックの運転士をしていたザーミルさんは、クウェート にほど近いサウジアラビア北部に駐留していた。「撤退する間、い つも爆撃にさらされていた。周りで大勢の仲間が犠牲になったよ 」。出血のためか、彼は話しにくそうに医師に語りかけた。 戦争中は、けがも病気もしなかったという。九二年に除隊後、野 菜やトマトの仲買で生計を立て、六人の子どもを養ってきた。「一週間前まではぴんぴんしてたのに、急にこんなことになってしまっ て…」 ザーミルさんは、いまだに自分の体の急激な変化が信じられない 様子だった。 「湾岸戦争退役兵のがん患者は、ここ四、五年増える一方です。 それも放射線による影響が強いと言われる白血病やリンパ腫が圧倒 的に多いんです」。ナフィーさんは、劣化ウランとの関連を抜きに、事態の説明はつかない、と強調した。 |
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