特  集
2000.6.20
 

江田島学校 陸自の前身
警察予備隊を訓練
国連軍兵器 使い方学ぶ

 朝鮮戦争ぼっ発からわずか一カ月半後。連合国軍総司令官だったマッカーサーの吉田首相あての書簡を機に七万五千人体制の警察予備隊が創設される。陸上自衛隊の前身である。その原点といえる最初の基幹隊員の養成が、広島県安芸郡江田島町でも行われた。

 警察予備隊一期として入隊した名古屋市中区の舟渡哲夫さん(76)は古いはがきを取り出した。「当時を物語るものはこれぐらいしか…」。五〇年九月、「江田島局区内日本警察予備隊訓練所」にいる自分にあてた家族からの便りだ。

 「防衛庁十年史」(六一年)に、「江田島学校」の記述がある。五十年八月二十三日の警察予備隊第一期の入隊と同時に、幹部育成のほか火器・通信・施設・車両などの教育を担当する学校が江田島に設置され、隊員からの選抜者が「顧問機関」(米軍)から教育を受けた、とある。旧海軍の下士官出身で、戦後、勤めた警視庁から出向した舟渡さんは、その一人だった。

 八月末、一期から「江田島学校」に赴く約二百人は大阪に集合、山陽線の列車で西に向かう。朝鮮戦争の戦況は北朝鮮軍の優勢。行き先もよく知らされず、「朝鮮に連れて行かれるのでは、という声も出た」と言う。

 米憲兵に守られながら広島港から上陸用舟艇に乗り込み、占領中の江田島の旧海軍兵学校(現海上自衛隊第一術科学校・幹部候補生学校)に着く。舟渡さんの記憶では、教育訓練は旧兵学校施設を使い、兵学校の日課に準じて行われた。日本語を話す日系人を含む米軍教官から、武器や通信機器などの使い方を学んだ。

 「朝鮮戦争で国連軍が使っていた兵器だった。なぜこんなものをと思ったが、戦況によって共同作戦を考えていたのかもしれない」

 教育期間は四週間。その間、外出もほどんど許されない。「戦争がやっと終わったのに」「朝鮮戦争はどうなるんだ」と、酒を飲んでは話し合ったという。

 やがて戦況は国連軍優勢に転じる。一期は基幹隊員として各地の予備隊駐屯地に向かい、代わりに二期の選抜組がやってきた。舟渡さんは広(呉市)、海田市(広島県安芸郡海田町)などの駐屯地に赴任。警察出身を買われ、内部の不祥事などを取り締まる仕事に就く。そして予備隊が「保安隊」と名を変えていた五三年、警視庁に復職した。

 米軍指導下、日本再軍備に大きな役割を果たした江田島学校は五一年四月、幕を閉じる。今は存在すらほとんど知られていない。




江田島学校での訓練。武器は米軍と同じものが貸与された
(防衛庁刊「防衛庁十年史」から)




江田島で訓練中の舟渡さんに届いた家族からのはがき。「警察予備隊」の文字が見える(円内は舟渡さん) (24KB)



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