|
2000.6.20 |
|
|
朝鮮戦争は、一九五〇年六月、朝鮮半島の韓国と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)との間でぼっ発し、休戦協定が成立した五三年七月まで三年余りにわたって戦われた。戦後の冷戦体制下で、四八年に韓国と北朝鮮が米ソの支援でそれぞれ建国し、民族が分断されたことが伏線となった。
北朝鮮軍の南進で始まった戦争は、米国中心の国連軍の反攻、中国義勇軍の参戦で、一進一退の攻防を繰り返す。戦場に近い中国地方は当時、英連邦軍の占領下にあり、後方支援基地としてかかわった。 日本特別掃海隊の一部が呉市、下関市などの掃海隊員から編成され、岩国基地(岩国市)や美保基地(境港市)は、国連軍の爆撃拠点になる。英連邦軍司令部のあった呉市には多数、傷病兵が運ばれた。五〇年九月、米軍B26爆撃機が岩国市内に墜落、住民三人が死亡。「特需」景気の一方、瀬戸内海の島々の機帆船が戦地の物資輸送に使われたとの証言もある。 翌五一年に結ばれた日米安保条約で、米軍は日本独立後も駐留する根拠を得る。五三年七月、板門店で休戦協定に調印。英連邦軍はその三年後、呉から撤退するが、米軍は岩国などに駐留を続けた。自衛隊も米軍の協力で戦力を整え、呉に海上自衛隊総監部が、広島県安芸郡海田町に陸上自衛隊第一三師団(現旅団)が置かれた。 九〇年代に入り、冷戦は終結するが、今度は北朝鮮の核疑惑を発端とした朝鮮半島危機を背景に、新ガイドラインが成立。「周辺有事」の際、機雷掃海などで自衛隊が協力するほか、自治体や民間も後方支援する枠組みが定められた。ただ、朝鮮半島の雪解けムードなど情勢の変化にどう対応するかが問われている。 |