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            「この島のつめ跡を知るよすがに」−。 
            330字の碑文に遺族の思いがこもる | 
           
        
       
      
      
 
  
       
      父の死 何だった 
       夏の日差しに銅板がテラテラ光り、黒ペンキの文字がくっきりと浮かび上がる。「負傷者は血だらけで、手をにぎると皮がつるりとむげ…」。広島市沖約一キロの金輪島は「救護の島」。原爆で負傷した市民、約五百人が船で運び込まれた。 
       「船舶を修繕する暁部隊が駐留した島。十分な看護は望めないが、陸地に一番近いので、運ばれたのでしょう」。慰霊碑建立を呼び掛けた弁護士の田辺博介さん(74)=西区己斐東一丁目=の父、次郎さんも金輪島で亡くなった。 
       建立を思い立ったのは三年前。「判事をしていて、全国を転々とした。地元での生活が落ち着き、父の死を検証したくなったということでしょうか」。戦災史をひもとき、金輪島と同様に救護所が設けられた似島を訪ねた。立派な慰霊碑に刺激を受けた。 
        新聞で紹介された呼び掛けに遺族四十人が集まり、昨夏、慰霊碑が完成した。「皆、肉親を静かに弔える場所を求めていたのだと思います」。八月三日、今年も遺族たちは島へ渡る。 
       路地裏や小さな公園にも、静かに平和を訴える原爆モニュメント(碑や像)がある。一九九0年以降に作られたモニュメントがたたずむ場所を訪ねた。 
       
       
      
       
       
        
     
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