English
長崎市『平和宣言』 1999年

長崎平和宣言

 核兵器、それは人類の滅亡をもたらすものです。54年前のきょう、8月9日午前11時2分、私たちのまち長崎は、ただ一発のプルトニウム型原子爆弾によって一瞬のうちに廃虚と化しました。数千度の熱線、強烈な爆風、恐るべき放射線に襲われた無数の人々がもだえ死にし、かろうじて生き延びた人々は、半世紀経った今もなお、心と体の傷をかかえて、不安と孤独に苦しんでいます。

 私たちは、この地獄のような体験から、核兵器は絶対に許せないと考え、それ以来、核兵器の廃絶を世界に向けて訴え続けてきました。

 昨年5月のインドとパキスタンの地下核実験以降、核兵器をめぐる世界の情勢は緊張の度合いを高め、ユーゴスラビア空爆に際して、NATO(北大西洋条約機構)側が核兵器使用を示唆したように、世界は危険な道をたどろうとしています。核保有国は、今なお時代錯誤の核抑止論に固執しています。

 しかし、21世紀に向けた力強い動きも始まっています。「アボリション2000」や「ハーグ世界市民平和会議」など、核兵器廃絶をめざすNGO(非政府組織)の積極的な活動と平和を願う国際世論の高まりがあります。これらの力の結集が各国政府を動かすとき、核兵器の廃絶は必ず可能です。私たちは、20世紀を生きてきた人類の責任として、核兵器全面禁止条約の早期締結を訴え、世界の国々の指導者に対し、「核兵器廃絶宣言」を今世紀中に行うよう強く求めます。

 今なお、地球上では戦争や地域紛争が後を絶ちません。これは、武力に訴えて自分たちの主張を通そうとする行いであり、最大の人権侵害、環境破壊です。私たちは、武力に頼らずに平和を築くこと、民族、宗教、文化の違いを互いに尊重し、認め合い、対話によって信頼を培うことの大切さを、世界に訴えます。

 次に日本政府に求めます。昨年12月に国連総会で採択された、核兵器廃絶への具体的提案である「新アジェンダ決議」を受け入れ、被爆国として先導的役割を果たすべきです。 条約締結が間近い中央アジア非核地帯に続き、北東アジア非核地帯の創設に努力し、核の傘を必要としない新たな安全保障の枠組みをつくってください。アジア・太平洋諸国に対する侵略と加害の歴史を反省し、日本国憲法の平和理念を守ることを誓い、真の相互理解に基づく信頼関係を築いてください。高齢化の進む国内外の被爆者のために、援護の充実に努めてください。

 21世紀を切りひらく若い皆さん、あなた方が生きる新世紀が平和であるために、いま何をしたらよいのか、考えてください。飢えや貧困をなくし、環境を守り、人の命を大切にして、世界中の人々が協力しあえる社会をつくるために、いま出来る身近なことから、行動を始めてください。

 昨年11月、長崎で開かれた国連軍縮会議は、「長崎を核兵器の惨禍に苦しんだ世界最後の被爆地とする」ことを決議し、私たちに大きな希望を与えました。長崎には、長い国際交流の歴史と悲惨な被爆体験があります。私たちは長崎を平和学習の拠点と位置づけます。被爆の実相と平和の願いを世界に発信し、世界の人々とともに平和の輪を広げます。

 被爆54周年にあたり、原爆で亡くなられた方々のごめい福を心からお祈りいたします。

 ここに、核兵器のない世界をめざし、さらに努力することを、長崎市民の名において国内外に宣言します。


  1999年(平成11年)8月9日

                                                       長崎市長 伊藤一長
広島市『平和宣言』 1999年


Menu