妹 築山 城子(むらこ)(13) 市立第一高女(舟入高)2年▼中島地区一帯の建物疎開に動員され、7日収容された江波小で死去。 祖父 坂本 虎雄(71) 遺骨は不明。(注・遺影なし)
弟 隆善(16) 鉄道学校生徒▼建物疎開の動員を控えて5日、基靖がいた左官町へ。15日、大野村で死去。当時小学4年だった妹は「長男の基靖は眠るように、三男の隆善は苦しんで死にましたが、母は『日本が負けたのを知らないで死んだのがせめても…』と言いました」と振り返る。
四女 靖子(20) 比治山高女1年の時に、爆心2・9キロの霞町(南区)の学校で被爆。原爆症を患い、52年10月21日死去。(注・いずれも遺影なし)
三女 暢子(3)(左) 母が5日連れて戻り、両親と一緒に爆死。 長女 澄子(20) 日銀広島支店勤務▼出勤途中の爆心0・7キロの十日市町(中区)で被爆し、夕方リヤカーで運ばれて祇園町の祖母宅に戻るが、14日死去。
妻 辰子(41)=右端 爆死。
長男 潤(18)=左から2人目 九州大医学部在学▼夏休みで帰省して爆死。下宿していた福岡市の叔父宅に「8日ごろ戻る」との手紙が届いていた。
長女 和子(16)=左端 爆死。
二男 耕(つとむ)(13)=中央 広島二中(観音高)1年▼本川に面する中島地区の建物疎開に動員され、級友340余人とともに爆死▼福岡在住の祖父が、医院跡で遺骨5体を見つけるが、76年、耕の遺骨は平和記念公園内の原爆供養塔にあるのが分かり、叔父が納骨。
三男 洵(ひとし)(18) 広島高等師範(広島大)2年▼5日帰宅して翌朝、学徒動員先の東洋工業(マツダ)に向かい、爆死したらしい。遺骨は不明。
妻 幾久世(46)(右) 自宅玄関前で爆死▼正喜の兄らが投下翌日、東広島市から捜しに来て2人の遺骨を確認。
二女 和枝(13)(左) 進徳高女2年▼建物疎開作業に向かうため、爆心1・4キロの南竹屋町(中区)の校庭に集合して級友330余人とともに被爆。遺骨は不明。
四女 悦子(6)(中) 中島小1年▼父と一緒に爆死。
五女 朋子(3) 母と爆死。遺骨は不明。(注・遺影なし)
四男 憲司(生後18日) 母と爆死。遺骨は不明。(注・遺影なし)
妻 ハルコ(36) 爆死。 二女 和子(1) 爆死。(注・遺影なし)
妻 タミ子(27) 爆死。
長女 良子(7) 爆死。
二女 弘子(4) 爆死。
三女 悦子(生後11カ月) 爆死。
他に男性2人、女性1人が働いていたが、詳細は不明。
二女 政子(6)(左) 中島小1年▼爆死。幸子と双子の姉妹だった。 二男 敏行(生後数カ月) (注・遺影なし)
山本 光子(27) 義姉と爆死▼応召の夫は49年シベリアから復員。(注・遺影なし)
二女 富貴子(14)(右) 進徳高女生徒▼自宅で爆死。
二男 富弥(11)(中) 母と戻った自宅で爆死。 三男 暁良(あきら)(3) 母が抱いて火の手を逃がれ、元安川で過ごす。9日、廿日市市の親族宅で死去。(注・遺影なし)