平和公園−廃虚と緑と

English

map 五十三回目の「原爆の日」を前に、被爆直後の広島の惨状などを精密に記録した貴重な写真のネガフィルム六十三カットが元米海軍将校の長男夫妻から広島市の原爆資料館に寄贈された。

 一九四五年十月に撮影したとみられ、いずれも未発表。核兵器が史上初めて使用された被爆都市を鮮明にとらえ、原爆投下の目標になった相生橋(T字橋)や原爆ドーム一帯を空からとらえた写真=左=も含まれている。

 五十三年を経過した今、当時の廃虚の街を想像することはできない=写真右。六日に祈りの場となる広島市中区の平和記念公園=写真中央下=には緑があふれ、北側一帯にはビルが林立。四五年八月六日、被爆者が水を求めて飛び込んだ川にはプレジャーボートも係留され、広島市民は「平和」の尊さをかみしめている。

 こうした平和の中でも市民は「あの日」を忘れることはない。原爆ドームのすぐそばにある寺の墓所には、墨の色濃い、「昭和二十年八月六日原爆」の墓石銘。一家五人の死因はいずれも「原爆」「原爆症」だ。原爆慰霊碑に奉納された原爆死没者名簿の総搭載者数は、昨年までに二十万二千百十八人。被爆五十三周年の平和祈念式では、この一年間に新たに亡くなった人の名前が記帳され奉納される。

 安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから―。被爆体験者が次第に減る中、「あの日」の記憶を確かに次世代へ引き継ぐ「道」が今、ヒロシマに問われている。


(44kb)(55kb)




Menu