高齢化に抗し二世が奮起
「新しい交流の場に」展示室の被爆資料を整理する 「ゆだ苑」の上野さん(右)ら |
一昨年六月、上野さんたちの日々は、がらりと変わった。原爆被 爆者福祉会館「ゆだ苑」が、財政難のため閉館に追い込まれたため だ。その苦境から、「利用者の宿泊準備に忙しく、十分相談に乗れ なかった。出掛けて行こう」という攻めの発想が生まれた。
こまめに県内を巡り始めると、減り続けていた被爆者からの相談 件数は増加に転じた。昨年は四百件にも上った。国や県が年に二回 実施する健康診断だけでは、被爆者の悩みをすくいきれない事実 が、一層浮き彫りになった。
ゆだ苑の建設は、山口大教授の募金活動が出発点となった。一年 間で二千三百万円ものカンパを集め、一九六八(昭和四十三)年、 温泉付き宿泊施設として湯田温泉近くに完成。利用者が年間二万人 を超えた時期もあったが、被爆者の高齢化が進むにつれ、訪れる人 は減った。
「風呂でくつろぎながら、被爆体験を語り始めるお年寄り。愚痴 をこぼす人。みんないい思い出」。職員の一人で、被爆二世の岡千 鶴子さん(47)が被爆者とふれあった会館は、二十七年間で取り壊さ れた。
だが、「ゆだ苑」の灯は、消えなかった。昨年二月、同じ場所に 完成した自治労会館の一階に軒を借りて、生まれ変わった。一階ロ ビーには、原爆関連の本やビデオを置いた「平和文庫」や倉庫に眠 っていた被爆資料を展示。「裸の付き合い」に代わる、交流の場を 設けた。
「夏にだけ活発な、アイスクリームみたいな運動ではだめ」。上 野さんたちは、「ゆだ苑」の原点である、市民と歩む被爆者運動の 重要性をあらためて問い掛ける。
◆ ◆ ◆
みんなで二代目の被爆者福祉会館をつくろう―。被爆者の平均年 齢が七十歳を超え、体験の風化が叫ばれる中、山口県内の被爆二世 の間で、こんな言葉がささやかれている。
下関市で翻訳を手掛ける杉山真一さん(45)も、その一人。今年初 めから被爆二世の名簿作りを始め、聞き取り調査などを基に、百五 十人を探し出した。
杉山さんの呼び掛けに応じ五月十八日、十五人が集まった。二世 問題を置き去りにしてきた行政への不満や、原爆との因果関係がつ かめぬ健康への不安を語り合った。
親の体験を知らされていない二世が多かった。悲惨な体験を胸の 内にしまい込みたいという親の思いに、子供たちは聞くことをため らってきた。「正面から原爆を受け止め、自分たちでヒロシマを受 け継ぎたい」。年内に「被爆二世の会」が発足する。
◆ ◆ ◆
長崎県被爆者手帳友の会(五万人)は結成して三十年になる。そ の会員の二世たちが昨年三月、原爆落下中心碑を撤去し、新しい母 子像のモニュメントを建てるという長崎市の計画に異議を唱えた。 「なぜ今、この時期に」。次々と輪に加わる市民に後押しされなが ら、座り込みを続け、計画撤回に持ち込んだ。
「中心碑の撤去問題で、初めて大きな力となった」。待ち望んだ 二世たちの結集。深堀勝一会長(69)は、バトンタッチに期待を寄せ る。