地道に訪問共感呼ぶ/試練を糧に

高齢化に抗し二世が奮起

「新しい交流の場に」展示室の被爆資料を整理する
「ゆだ苑」の上野さん(右)ら

 「受け身から、攻めの相談に変えました」。山口市の「ゆだ苑」 事務長の上野さえ子さん(48)ら三人の職員は今、県内の被爆者たち を個別訪問している。ひっそりと一人で暮らす人、寝たきりのお年 寄り。孤独や不安にさいなまれる被爆者が、いかに多いかを再確認 した。

 一昨年六月、上野さんたちの日々は、がらりと変わった。原爆被 爆者福祉会館「ゆだ苑」が、財政難のため閉館に追い込まれたため だ。その苦境から、「利用者の宿泊準備に忙しく、十分相談に乗れ なかった。出掛けて行こう」という攻めの発想が生まれた。

 こまめに県内を巡り始めると、減り続けていた被爆者からの相談 件数は増加に転じた。昨年は四百件にも上った。国や県が年に二回 実施する健康診断だけでは、被爆者の悩みをすくいきれない事実 が、一層浮き彫りになった。

 ゆだ苑の建設は、山口大教授の募金活動が出発点となった。一年 間で二千三百万円ものカンパを集め、一九六八(昭和四十三)年、 温泉付き宿泊施設として湯田温泉近くに完成。利用者が年間二万人 を超えた時期もあったが、被爆者の高齢化が進むにつれ、訪れる人 は減った。

 「風呂でくつろぎながら、被爆体験を語り始めるお年寄り。愚痴 をこぼす人。みんないい思い出」。職員の一人で、被爆二世の岡千 鶴子さん(47)が被爆者とふれあった会館は、二十七年間で取り壊さ れた。

 だが、「ゆだ苑」の灯は、消えなかった。昨年二月、同じ場所に 完成した自治労会館の一階に軒を借りて、生まれ変わった。一階ロ ビーには、原爆関連の本やビデオを置いた「平和文庫」や倉庫に眠 っていた被爆資料を展示。「裸の付き合い」に代わる、交流の場を 設けた。

 「夏にだけ活発な、アイスクリームみたいな運動ではだめ」。上 野さんたちは、「ゆだ苑」の原点である、市民と歩む被爆者運動の 重要性をあらためて問い掛ける。

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 みんなで二代目の被爆者福祉会館をつくろう―。被爆者の平均年 齢が七十歳を超え、体験の風化が叫ばれる中、山口県内の被爆二世 の間で、こんな言葉がささやかれている。

 下関市で翻訳を手掛ける杉山真一さん(45)も、その一人。今年初 めから被爆二世の名簿作りを始め、聞き取り調査などを基に、百五 十人を探し出した。

 杉山さんの呼び掛けに応じ五月十八日、十五人が集まった。二世 問題を置き去りにしてきた行政への不満や、原爆との因果関係がつ かめぬ健康への不安を語り合った。

 親の体験を知らされていない二世が多かった。悲惨な体験を胸の 内にしまい込みたいという親の思いに、子供たちは聞くことをため らってきた。「正面から原爆を受け止め、自分たちでヒロシマを受 け継ぎたい」。年内に「被爆二世の会」が発足する。

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 長崎県被爆者手帳友の会(五万人)は結成して三十年になる。そ の会員の二世たちが昨年三月、原爆落下中心碑を撤去し、新しい母 子像のモニュメントを建てるという長崎市の計画に異議を唱えた。 「なぜ今、この時期に」。次々と輪に加わる市民に後押しされなが ら、座り込みを続け、計画撤回に持ち込んだ。

 「中心碑の撤去問題で、初めて大きな力となった」。待ち望んだ 二世たちの結集。深堀勝一会長(69)は、バトンタッチに期待を寄せ る。


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