パキスタン北西部のペシャワール市周辺に点在するアフガン難民 キャンプ。首都カブールからの避難民は、口々にこう言った。 一九七九年から十年間に及ぶ旧ソ連軍との戦い。この間に約三百 五十万人が国境を越え、パキスタンに逃れた。八九年のソ連軍撤退 後、その数は減少した。が、権力抗争を続ける武装グループによる 内戦は、いまだやまない。
「西の隣国に親政権を」と、イスラム原理主義勢力タリバンを支 援するパキスタン政府。一方、イラン政府は、ラバニ政権のマスー ド元国防相派やウズベク人主体のドスタム将軍派ら反タリバン勢力 に加担。インド政府も同じグループに外交的支援を与える。アフガ ニスタンでも対立する印パ両国…。
タリバンと反タリバン派との戦いが激しくなった昨年九月以後、 新たな難民がカイバル峠を越えパキスタンへと流入する。
「女性は外での仕事を持つな」「女性に教育はいらない」…。九 月末に首都を制圧したタリバンが打ち出した政策。時代錯誤の施策 に医師や教師ら都会の知識階層が恐れをなし、故郷を後にした。
ペシャワール周辺を中心に、今なお二百五十万人がパキスタンに 居住すると言われるアフガン難民。自国に抱える大量の難民とタリ バンへの支援は、東のカシミール紛争と併せ、パキスタン政府に 「二重苦」を与えている。
九五年九月、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、難民 の本国帰還を促すため援助を大幅に縮小した。欧米から支援に駆け 付けたほとんどの非政府組織(NGO)も撤退した。
こうした中、福岡市出身の医師、中村哲さん(50)は、八四年以来 ペシャワールに滞在し、日本の草の根市民の全面的な財政支援を受 けながら[ペシャワール・レプロシー・サービス]など二つの病院 と五つの診療所を運営。現地医師とともにアフガン難民やパキスタ ン山岳民族のハンセン病患者らの治療を続ける。
三カ所の難民キャンプを歩いた。多くの人々が必死に訴えてき た。「今日食べる食料がほしい」「金も職もない」…。その表情に は絶望感さえ漂う。
難民のだれもが願う一日も早い故郷への帰還。しかし、その祖国 は長引く内戦で一段と荒廃だけが進む。
「だれでもいい。早く戦争を終わらせて、平和な国にしてほしい …」。深いしわを刻んだ、やせ細った老人がぽつりと言った。
(文と写真・田城 明編集委員)