インド軍とのシアチン氷河を挟んでの戦闘に備え、耐寒装備で訓 練するパキスタン兵。命と資源を守るためにも、戦争の早期終結 が待たれる (パキスタン側管理のジャムー・カシミール地方デンサム村ベースキャ ンプ) |
三度の戦争を繰り返し、今もジャムー・カシミール地方で紛争を 続ける印パ両国。節目の年を境に、新たな五十年を「平和と繁栄」 の時代に転換できるのか。それとも、核抑止論に根差す「恐怖の均 衡」の下、大多数の生活を犠牲にしつつ、多額の金と資源を軍事に 浪費するのか。
「ヒロシマは対立する印パ国民の接着剤になり得る」。私はイン ドでもパキスタンでも、人々がこう言うのをしばしば耳にした。そ れは、日本人記者として初めて印パ両国の対立の現状を、両方から ルポした私の実感でもあった。
この両国市民の熱い期待に被爆者をはじめ広島市民が、こたえる 方法はいくつかある。一つは被爆者らが両国を訪れ、自らの被爆体 験や核廃絶への願いを直接、市民に語り掛けることである。戦争や 紛争のない世界を求める「ヒロシマの心」を伝えることだ。これ以 上にインド人やパキスタン人の心を揺さぶるものはないだろう。
ヒロシマの名はよく知られている。でも、核戦争が何をもたらす のか、具体的に知る人々はほんのわずかにすぎない。
米国で開かれ、そして今、欧州で開催している原爆展もぜひ実現 させたい。印パの主要都市で巡回展を開くのである。両政府の「核 オプション」を支持する声は強力だ。それだけに、核兵器開発に反 対する人々の原爆展実現への期待は大きい。
既に原爆関連の資料を印パの平和団体に贈る運動を始めた広島市 民。今秋現地を訪れて被爆体験を語り、ミニ原爆展も開こうという 被爆者らの動きも起きている。広島市も独自で、あるいは長崎市と 協力して、本格的な原爆展を計画してはどうだろう。
広島市長も、市民を代表して両国を訪れるべきである。インド、 パキスタンの市民や指導者らと直接対話を交わし、「核危険地帯」 を「非核地帯」にすべく働き掛けをする意義は大きい。
広島から平和のメッセージを携え、印パ両国を訪ねること。それ は、ただこちらから一方的にメッセージを伝えることだけが目的で はない。同じアジアの一員として、両国の、あるいは南アジアの実 情を学ぶことでもある。
その意味で、広島の、日本の若者たちに大いに参加してもらいた い。
国際ボランティアを養成するNGO(非政府組織)カレッジが、 五日、東広島市に開校した。ヒロシマについて学んだ若者たちが、 インドやパキスタンの貧しい地域などで奉仕活動にかかわり、地域 に貢献しながら被爆の実相についても語り得たなら、と思う。
むろん、両国を訪れなくても、ヒロシマの願いを託した手紙を両 首脳に出すなど、ほかにもやれることがある。市民一人ひとりが、 ぜひ工夫をしたい。
インド、パキスタン両首脳は今年五月、ほぼ四年ぶりに会談を持 った。緊急時の「ホットライン」も設置。領海侵犯で逮捕されてい た両国の漁民らも互いに釈放された。カシミール問題や貿易など両 国間の懸案解決のため、事務レベルの定期協議も開かれている。
両国の良心的知識階層が交流を深め、相互信頼の土壌を築きつつ もある。
不信と対立に塗り込められた五十年間の厚い雲間から、希望の光 が差し込みつつある。不信から信頼へ、対立から融和へ…。
四十年前に広島市を訪れ、平和記念公園から広島市民に呼び掛け たインドのジャワハラル・ネール初代首相の「贈る言葉」を今一度 かみしめよう。
「私はいま広島のカギをもらい、このうえない名誉である。この カギで世界の心、人びとの平和心を開き友情の社会をつくってゆき たい」
(田城 明編集委員)