「学生の核・平和・隣国意識」
「和平」へ願いは一つ  ‖メニュー



 昨年九月上旬からほぼ四カ月に及んだインドとパキスタンでの取 材。私はこの間、機会あるごとに各地の大学を訪れ、若者たちと話 し合った。二十一世紀を担う両国のエリートたち。彼らは互いに隣 国をどう見、自国の核開発をどうとらえているのだろうか。ヒロシ マ・ナガサキの「被爆の実相」は、どこまで伝わっているのか…。 パキスタンでのヒロシマについての「特別授業」の様子を含め、印 パそれぞれ二校の学生たちの核・平和・隣国意識を紹介する。
(田城 明編集委員、写真も)


安全保障が最優先「パ」
政治家が敵意あおる「印」


‖「パ」ペシャワール大学‖
核廃絶の道筋保有国が示せ

「ヒロシマ」についての「特別授業」を受講する
ペシャワール大学国際関係学部の大学院生と教授陣
(ペシャワール市)

 パキスタン北西辺境州の州都ペシャワール。この地で取材中、ペ シャワール大学国際関係学部から「ヒロシマをテーマに学生たちに 話してほしい」との思わぬ依頼が舞い込んだ。対象者は同学部の大 学院生八十人と教授陣。二時間の「特別授業」である。

 十月下旬の水曜日、午前八時。学部長に紹介された私は、前列に 陣取る女学生たちの熱いまなざしに圧倒されながら、自分を押し出 すように語り掛けた。

 ▽ヒロシマの惨状語る

 一瞬のうちに広島の街全体が壊滅し、阿鼻(あび)叫喚地獄にた たき込まれた被爆当時の状況、急性放射線症状による死やその後に 長く続く原爆後遺症、「鬼畜米英」の憎しみの感情に凝り固まって いた被爆者らが、大きな犠牲と苦しみの中から憎悪の気持ちを昇華 し、やがて平和の思想を獲得していったこと…。

 戦時中、中国新聞やその他の日本の新聞が戦争を鼓舞し、日本人 を戦争へと駆り立てていった「過ち」についても触れた。

 そしてその反省に立ち、被爆地に本社のある中国新聞は、人類初 の原爆体験の中から「世界平和の確立」を社是に掲げ、広島市民と ともに核兵器廃絶の願いを国内外に伝えていること。核実験や原発 事故などで世界に多くの「ヒバクシャ」が生まれている実態なども ルポし、核時代に警鐘を鳴らしている、と話した。

 これまでの取材体験を中心にしての一時間余の素人レクチャー。 話し終えるや否や質問、というより反論が飛んできた。

 「広島の考えは分かった。でも、この国に住み、インドと三度戦 争したパキスタンにとって安全保障が最優先する。核オプションを 放棄することなどできない」

 小柄な口ひげをはやした青年が詰問口調で言った。軍から派遣さ れて学ぶ将校だと後で教えられたその青年に、私は概略こう答え た。

 ▽全面戦争突入の恐れ

 「安全保障へのあなたの懸念は分かる。でも、今のような対立状 態がずっと続けば、危険は増すばかり。カシミール紛争をきっかに 全面戦争だって起きかねない。仮に戦争を防止できたとしても、貧 困の克服や経済発展は大幅に遅れるだろう。もっと賢明な道がある のではないか…」

 女性からも次々と意見が出された。「パキスタンよりも先に核保 有国が、次ぎにインドが軍縮への一歩を踏み出すべきだ。そうすれ ばパキスタンも包括的核実験禁止条約(CTBT)にも調印でき る」「インドという国は信用できない」…。

 核廃絶に向け核保有国が青写真を示すべきである、との主張にヒ ロシマも賛成している、と私は言った。そのために同じ考えを持つ 核保有国の市民らと協力し、多様な手段で核廃絶を訴え続けてき た。これからもその努力は続けられる。

 が、一方で核拡散状況を懸念しないわけにはいかない。南アジア の大国であるインドが地域の軍縮に向けイニシアチブを取るべきと の主張に一定の理解を示した。と同時に、相互信頼を醸成する積極 的な取り組みが印パ両国民に必要だと強調した。

 そして最後にヒロシマからの願いを込めて訴えた。「二十一世紀 の平和な未来を築くのは、あなたたち若者にかかっている」と。

 一時間以上の質疑は、日本の原子力、ロケット技術の軍事転用へ の疑念を含め厳しいものばかりだった。

 しかし、熱心にメモを取る者、後からやって来て「核戦争に勝者 はないとの意味がよく分かった」と打ち明ける女学生もいた。

 教授陣の一人、ヌーア・タハン助教授はこう評してくれた。「私 たちも学生も、欧米のパワーポリティックスの考えに縛られてい る。それだけに、被爆体験に根ざす新しい視点に触れることができ たのは新鮮だった」

 多くの人々から一方的に話しを聞くことが中心の取材活動。その 意味で今回のにわか授業は、私にとって「非日常の体験」だった。 つたない話の中から、一人でもヒロシマの平和思想に共鳴してくれ る若者が出てくれれば…。そう願いながら、美しいキャンパスを後 にした。

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‖「パ」カイゼ・アザム大学院大学‖
印の侵攻今も危ぐ
軍事費増大や核競争は否定

カイゼ・アザム大学院大学物理学部の修士・博士課程で
学ぶサミア・カウサーさん(左から3人目)ら大学院生
(イスラマバード市)

 パキスタンの首都イスラマバードのカイゼ・アザム大学院大学。 物理学部の修士・博士課程在籍の五人が、紅茶などを飲んでくつろ いでいる休憩室を訪ね、ざっくばらんに印パ両国の関係について聞 いた。

 「インドは常にパキスタンを征服して一つの国にしたいと思って いる」。博士課程二年目のサミア・カウサーさん(27)が言った。 「ドパタ」と呼ばれる白いショールがよく似合う。彼女はさらに続 けた。

 「パキスタンだけじゃない。バングラデシュもスリランカも、ネ パールもブータンも、支配下に起きたいのよ。その野望はこの五十 年間変わらない」

 インドがジャムー・カシミール地方を自国領土にしたい、と言う のならまだしも「パキスタンを征服したいと思っている」との言葉 にはわが耳を疑った。他の四人も同じ意見だという。

 自然の秘密を探る聡明(そうめい)な若者たち。この国で最高の 教育を受けている彼らにしてこうである。隣国への不信の根深さを あらためて思った。

 軍事問題に水を向けてみた。

 ―すると自国を守るためには、多くの金を軍事に使い、核兵器も 持たなければいけないということだね?

 「いや、軍事費に多くを掛けるのはよくない」「だれも戦争を望 む者はいない」「核競争はしない方がいい」「でも、無意味だと分 かっていても、強大なインドが平和を望まない以上、ノー・チョイ スである…」

 ―インドとの相互信頼を築くために、市民や学生同士が交流して は?

 「そんなことをしてもカシミール問題の解決には何世紀もかかっ てしまう。政府レベルで話すしかない」  ―しかし、市民の声を政府に反映させるのが民主主義ではないの ?

 「私たちの国は制約のある民主主義だから…。政府や軍部がすべ てを決定する」

 半ばあきらめたような答えが返ってきた。

 ヒロシマについては、放射線の影響や遺伝の問題など物理学徒ら しく彼らの方から質問してきた。

 将来の夢、結婚、趣味…。何を話題にしても明るく、笑いが絶え ない。人間味あふれる若者たち。きっと、ちょっとした違った体験 が、インド観をも変えるのでは…。そんな気がしてならなかった。

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‖「印」ジャワハラル・ネール大学院大学‖
「カシミール」早期に終結を

ジャワハラル・ネール大学院大学日本語学科で学ぶアヌラーグ・
カシャップさん(右端)ら大学院生。「ヒロシマの体験を世界に広
めることはとても大切」と異口同音に言う
(ニューデリー市)

 「筑波大学へ留学中、パキスタン人が三人いた。友達の中でも彼 らとは一番仲がよかった」。ジャワハラル・ネール大学院大学日本 語学科修士課程二年のアヌラーグ・カシャプさん(25)が、流ちょう な日本語で言った。

 インドの首都ニューデリーの街はずれにある広大なキャンパス。 「ポスター文化」と学生たちが呼ぶ印刷物であふれた校舎そばで、 彼と同じ日本語学科の女性三人を交え話し合った。

 「戦争なんかやめてほしい、というのが僕らの思いだった。結 局、『敵』のイメージは、印パ両国の政治家によって植え付けられ ている気がする」とカシャップさん。

▽4人から活発な意見

 「でも、カシミールの青少年をパキスタンへ連れて行って軍事訓 練をしたりするのはやめてほしい」「インド軍も現地でひどいこと をしているかもしれないけど、デリーじゃ本当のことは分からな い」「大事なのは話し合いで解決することよ」…。

 ジャムー・カシミール問題をめぐって四人から活発な意見が出 た。修士を終え博士課程を目指すナイニ・セロヒさん(23)は「独立 してブータンのような緩衝国となるのが一つの解決策」と、柔軟な 考えを示した。

 とにかく、この問題でいつまでもパキスタンと対立するのは愚か しい。この点で四人の意見は一致した。

 インドの共和国憲法に付則の「パンチシール(五つの柱)」の中 には、日本の平和憲法の精神と同じように「他国を侵略してはなら ない」「相互に敬意を払う」といった条項がある。

 セロヒさんともう一人の女性は、昨年と一昨年それぞれ広島市の 原爆資料館を見学。「ショックと同時に、復興した広島の姿に感動 した」と口をそろえる。

 「でも、東京の原宿などで遊んでいる日本の若者を見ていると、 自分だけよければ親や社会などはどうでもいいって感じ。平和憲法 も忘れられているのでは…」

 セロヒさんの見方に三人がうなずく。カシャップさんが言葉を継 いだ。

 ▽日本は過去学ぶべき 

 「日本の軍事費はGNPの約一%。でも、その額は印パ両国の軍 事費を合わせた四倍以上にもなる。日本が過去の歴史から学ばなけ れば、同じ過ちを繰り返さないとの保証はない」

 インド映画には「アマン(平和)」と題したヒロシマをテーマに した作品がある、という。原爆投下後の広島へインド人医師が入 り、被爆者の救護活動をする。が、やがて残留放射能による後障害 で亡くなる。「美しい悲しいストーリー。知ってますか?」

 私は寡聞にして知らなかった。

 「インドが包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対し、核オプ ションにこだわるのは、調印してしまえば核保有国に軍縮へのプレ ッシャーが掛けられないと思うから。差別に対する憤りからで、平 和を愛していないのではない」

 達者な日本語、広い見識…。一方で彼らに教えられながら、核オ プションの考えについてはあえて異論を挟んだ。

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‖「印」コットン大学‖
軍事力の均衡重視
北東部7州に根強い疎外感

 カルカッタからジェット機で北東へほぼ一時間。インド北東部ア ッサム州の州都グワハティ市の中心部にコットン大学はあった。学 生数約五千人。

 中国、ミャンマー国境に近いアッサム、ナガランド、マニプール など北東部七州の人々は、大半が日本人と同じモンゴロイドだ。

 たまたま戸外にいた男子学生に声を掛けると、気楽に話に応じて くれた。六人とも英文学専攻の修士課程に学ぶ。

 「アッサムをはじめ北東部七州は、日本で言えば沖縄と同じ。政 府からも国民からもいつも無視され続けてきた」。一人が言った。 いきなり日本の例を引き合いに出され、彼らの情報量に感心させら れる。

 インド国歌には各州の名前が出てくる。でも、北東部七州の名前 は言及されない。小学校の社会科で各州の有名なフェスティバルを 学ぶ。が、七州は記述もされていない。

 「デリーやカルカッタへ行くと、まるでタイかマレーシア辺りか らやって来た外国人扱い。八〇%のインド人にとって、北東部はジ ャングル。野蛮人が住んでいるとぐらいにしか思っていない…」

 学生たちは次々と「中央」に向けて不満、をぶつけた。彼らがい かに疎外感を抱いているかひしひしと伝わってくる。不満分子の中 には、国家、あるいは州からの分離独立を求め、武力に訴える人た ちも少なくない。

 しかし、これほど中央政府を批判する学生たちも、国の安全保 障、核問題となると、だれもが「核オプションは必要だ」となる。  「中国の軍事力と均衡を図るには核保有も必要」「パキスタンの 核脅威を見過ごせない」…。

 学生たちも外国に向けてはやはりインド人。「北東部への予算配 分がただでさえ少ないと不満がいっぱいなのに、軍備増強に金を掛 ければますます配分が難しくなるのでは?」

 「それはそうかもしれないけど…」。学生たちの言葉には、初め の政府批判のような歯切れのよさはなかった。

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