北西辺境州から・知識層は和平に積極的


「少しでも生活が楽になるように」と、アフガニスタン
難民(右)をお手伝いに雇うアディル・ザーリッフさん
貢献する」
(ペシャワール市)

 「死から生へ、欺瞞(ぎまん)から真実へ私を導いてほしい/絶 望から希望へ、恐怖から信頼へ私を導いてほしい/憎しみから愛 へ、戦争から平和へ私を導いてほしい/私たちの心に、私たちの世 界に、私たちの宇宙に、平和が満ちあふれるように…」

 パキスタン北西辺境州の州都ペシャワール市から世界平和を願い メッセージ・カードを送り続けるハイバル医科大学講師のアディル ・ザーリッフさん(42)。自宅で会った彼は、私が取材バッグから取 り出した被爆の惨状を伝える冊子『ヒロシマ』を手に、息をのん だ。

 被爆直後の廃虚の街並み、救護の様子、放射線の影響で脱毛した 女性…。三十ページ余に掲載された写真を見終えたザーリッフさんは、 表情をこわばらせて言った。

 「パキスタンやインドの何人が核戦争のもたらす実相を知ってい るだろうか。両国の核兵器開発に強く反対している私ですら、ヒロ シマで何が起きたかを正確に知らないのだから…」

 原爆投下直後の状況は?

 医師や看護婦は何人生き残ったのか? 放射能汚染の影響は? …。次々と質問する彼に、私の知る限りの答えをした。

 「ペシャワールでは、インドとの緊張関係だけでなく、すぐ隣の アフガン戦争や内戦の現実を常に感じて暮らしている。恐怖や憎し みといった感情が、人々の身近にある。でも、ヒロシマの破壊に は、そんな感情をすべてマヒさせる科学の冷酷さを感じてしまう」

 大学で解剖学を教える一方で、地元の英字紙に週一回のコラムを 持つ。「二足のわらじ」を履くザーリッフさんは、平和や人権擁護 活動にも熱心に取り組む。

 「ヒロシマについてもっと多くの仲間に知ってほしい」。ペシャ ワール滞在中の昨年十月下旬、彼が声を掛け市内のホテルに約二十 人が集まった。大学教授、弁護士、退役軍人、医師…。

 約一時間、原爆後遺症の問題や反核への取り組みなどについて、 これまでの取材に基づいて話した。印パなど第三世界への核拡散状 況に強い懸念を抱いていることも伝えた。

 しかし一方で、印パ対立の最大の懸案であるジャムー・カシミー ル問題について日本人はその実態をほとんど知らないこと、さらに 核開発を懸念していると言いながら両国への被爆地からの具体的な アプローチが欠落していたことも率直に打ち明けた。

 「印パの核対立を懸念しているのは私たちも同じ」「ヒロシマを 知らずに、核の抑止効果だけが語られている」「インドとの平和構 築のために日本人も力を貸して欲しい」…。

 質疑の中で参加者から、平和に果たすヒロシマへの大きな期待が 寄せられた。その一方で、中央政府や軍への強い批判も目立った。

 例えば、こんな調子である。「軍事にはいくらでも金をかける。 でも、北西辺境州には、教育がなされず、病院らしい病院もない部 族地域があることなど問題にもされない」「軍隊も政治も実権を握 っているのはパンジャブ州の出身者。彼らがいつもカシミールを持 ち出してインドとの対立をあおる」

 北西辺境州の知識階層には、中央と距離を置いた冷めた目がある と言われる。彼らの発言がそのことを語っていた。疎外されてきた 歴史。その反映でもある。

 だが、その分、インドとの関係改善を願う人たちの層は、少ない 人口に比して厚いとも言えた。この夜、集まった人たちの多くが、 印パの市民でつくる「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド 人民フォーラム」に積極的にかかわる。既にインドを訪れ、交流を 持った人たちも少なくない。

 「二カ月後の十二月末に開くカルカッタでの大会には、この中か らかなり参加する予定だ。辺境州からもっと平和に貢献したいと思 っている」北西辺境州から・知識層は和平に積極的

 「死から生へ、欺瞞(ぎまん)から真実へ私を導いてほしい/絶 望から希望へ、恐怖から信頼へ私を導いてほしい/憎しみから愛 へ、戦争から平和へ私を導いてほしい/私たちの心に、私たちの世 界に、私たちの宇宙に、平和が満ちあふれるように…」

 パキスタン北西辺境州の州都ペシャワール市から世界平和を願い メッセージ・カードを送り続けるハイバル医科大学講師のアディル ・ザーリッフさん(42)。自宅で会った彼は、私が取材バッグから取 り出した被爆の惨状を伝える冊子『ヒロシマ』を手に、息をのん だ。

 被爆直後の廃虚の街並み、救護の様子、放射線の影響で脱毛した 女性…。三十ページ余に掲載された写真を見終えたザーリッフさんは、 表情をこわばらせて言った。

 「パキスタンやインドの何人が核戦争のもたらす実相を知ってい るだろうか。両国の核兵器開発に強く反対している私ですら、ヒロ シマで何が起きたかを正確に知らないのだから…」

 原爆投下直後の状況は?

 医師や看護婦は何人生き残ったのか? 放射能汚染の影響は? …。次々と質問する彼に、私の知る限りの答えをした。

 「ペシャワールでは、インドとの緊張関係だけでなく、すぐ隣の アフガン戦争や内戦の現実を常に感じて暮らしている。恐怖や憎し みといった感情が、人々の身近にある。でも、ヒロシマの破壊に は、そんな感情をすべてマヒさせる科学の冷酷さを感じてしまう」

 大学で解剖学を教える一方で、地元の英字紙に週一回のコラムを 持つ。「二足のわらじ」を履くザーリッフさんは、平和や人権擁護 活動にも熱心に取り組む。

 「ヒロシマについてもっと多くの仲間に知ってほしい」。ペシャ ワール滞在中の昨年十月下旬、彼が声を掛け市内のホテルに約二十 人が集まった。大学教授、弁護士、退役軍人、医師…。

 約一時間、原爆後遺症の問題や反核への取り組みなどについて、 これまでの取材に基づいて話した。印パなど第三世界への核拡散状 況に強い懸念を抱いていることも伝えた。

 しかし一方で、印パ対立の最大の懸案であるジャムー・カシミー ル問題について日本人はその実態をほとんど知らないこと、さらに 核開発を懸念していると言いながら両国への被爆地からの具体的な アプローチが欠落していたことも率直に打ち明けた。

 「印パの核対立を懸念しているのは私たちも同じ」「ヒロシマを 知らずに、核の抑止効果だけが語られている」「インドとの平和構 築のために日本人も力を貸して欲しい」…。

 質疑の中で参加者から、平和に果たすヒロシマへの大きな期待が 寄せられた。その一方で、中央政府や軍への強い批判も目立った。

 例えば、こんな調子である。「軍事にはいくらでも金をかける。 でも、北西辺境州には、教育がなされず、病院らしい病院もない部 族地域があることなど問題にもされない」「軍隊も政治も実権を握 っているのはパンジャブ州の出身者。彼らがいつもカシミールを持 ち出してインドとの対立をあおる」

 北西辺境州の知識階層には、中央と距離を置いた冷めた目がある と言われる。彼らの発言がそのことを語っていた。疎外されてきた 歴史。その反映でもある。

 だが、その分、インドとの関係改善を願う人たちの層は、少ない 人口に比して厚いとも言えた。この夜、集まった人たちの多くが、 印パの市民でつくる「平和と民主主義を求めるパキスタン・インド 人民フォーラム」に積極的にかかわる。既にインドを訪れ、交流を 持った人たちも少なくない。

 「二カ月後の十二月末に開くカルカッタでの大会には、この中か らかなり参加する予定だ。辺境州からもっと平和に貢献したいと思 っている」

 ザーリッフさんは、みんなの思いを代弁するように集いを締めく くった。


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