「インドの農村で会った女性たちの地位は、パキスタ ンの田舎の女性と同じように低かった」と話すナゼィ ッシュ・アハマッドさん (イスラマバード市) |
「このお菓子、遠くまで持って帰るのだけど日持ちする?」
「遠くって、どこから来たんかね、娘さん」
「パキスタンです」
「パキスタン? よく来たね。日持ちの方は大丈夫。それじゃ、 特別きれいに包装しておくよ」
パキスタンへの帰国前日、ナゼィッシュ・アハマッドさん(24) は、ニューデリー市街の菓子店で、カラチに住む家族に土産を買っ た。ヒンディー語を話す中年の店主に対し、彼女はウルドゥ語。言 葉が似ているので互いに理解するのに不自由はない。何より、店主 の優しい心遣いがうれしかった。
「小さなことかもしれないけど、私の中にあるインド人に対する 深い疑念が消えて行くような気がして…」
昨年十月半ば、イスラマバードのカイゼ・アザム大学院大学キャ ンパスで会ったアハマッドさんは、初めて訪れたインドでの体験を 生き生きと語った。
「私たちがインド人に会ってみたいと思うように、ごく普通のイ ンド人もパキスタン人に会いたいと思っているのがよく分かった わ」
カイゼ・アザム大修士課程で国際関係論を専攻する彼女は、九月 十八日から十日間、インドを訪問した。ロンドンにあるキングス大 学が「南アジアにおける安全保障・科学技術・軍備管理」をテーマ にインドでワークショップを主催。それに参加するためだった。
二日間のニューデリー滞在のほかは、ラージャスタン州ニムラー ナ市の城を改造したホテルに閉じこもり、印パ関係をはじめ、南ア ジアが抱えるさまざまな問題について議論した。
インドからは博士課程の院生ら十四人、パキスタンからは彼女を 含め修士課程の院生や若手ジャーナリストら十一人、中国から四 人、そして南アジア専門の英米の学者各一人が加わった。
「パキスタンからの参加者は、最初、インド人はインド人、私た ちは私たちだけで固まって不自然な集まりになるのでは、と懸念し ていたの。でも、初日から何の違和感もなしに溶け込めたので、そ れがかえって驚きだったわ」
パキスタン人は堅苦しくて、保守的で、英語もろくに話せないの ではないか。インド側参加者の大半は、パキスタン人に対してこん なイメージを抱いていた。ところが、アハマッドさんらの堪能な英 語力や、彼女たちがとてもリラックスし、カシミール問題から芸 術、ファッションまで自由に話すのに驚いた様子だった、という。
ワークショップの正式な場では、意見の違いも出た。例えば、カ シミール問題。参加者は、ジャムー・カシミール地方の将来を決め るのに「住民投票をすべきである」という点では一致した。
「でも、私たちがオブザーバーとして国連など第三者による監視 を求めたのに対し、インドの参加者は二国間で直接解決すべきとい う点にこだわった」と、アハマッドさん。
核査察や核物質の生産禁止、印パともに参加していない包括的核 実験禁止条約(CTBT)署名問題などについても議論した。
「核保有国に対するインドの主張は分かる気がする。でも、私た ちは基本的に核開発には反対。だから、インドがCTBTに署名す れば、パキスタンも加わると思うの」
印パ間に横たわる問題が一度に解決するとは思わない。しかし、 少なくとも両国の若い世代は、対話による問題解決を望んでいるこ とが実感できた、という。
アハマッドさんは「今回のワークショップに参加していなかった ら、自分の意識は昔のままだっただろう」と話す。年配の世代から 教えられ、本で学んだ「信用の置けないインド人」との固定したイ メージ。
「固定観念から脱皮できただけでも参加の意義があったわ。これ からは、インドとパキスタンの信頼をはぐくむために積極的に貢献 したい」。こう話す彼女の目は輝いていた。