インターネットで、読者の質問に答えるラッキー・ア リさん(右)。「パキスタンの人々に、私の愛を直接語り 掛けたい」 (ムンバイ市) |
半世紀間の対立から共生へ、不信から信頼へ―。英国植民地から 独立後、三度戦火を交え、今では「核」で向き合うインドとパキス タン。五十年間の対立の歴史に終止符を打ち、新たな共存の時代を 築こうと、両国民の間に「交流の芽」が育ち始めている。新しい動 きを追った。
(田城 明編集委員、写真も)
活気に満ちたインドの国際都市ムンバイ(旧ボンベイ)。その中 心部のビル二階にインターネット・デイリー・マガジン「リディッ フ」のオフィスはあった。
「今夜の『チットチャット(おしゃべり)コーナーのゲストは、 歌手のラッキー・アリだ。今、一番若者に支持されている」。スタ ッフの一人が言った。毎夜、オフィスにゲストを招き、パソコン画 面で「読者」と対話をしてもらおうという趣向である。
午後七時過ぎ、そのアリさん(38)が現れた。ラフなスタイルに、 イスラム教徒のかぶる柄もののポピー(帽子)がよく似合う。
「好きな食べ物は?」「詞や曲はどんな時に生まれるの?」「あ なたにとって宗教とは?」…。
途切れることなく続く読者の質問に、英語でアリさんが答え、ス タッフが素早くキーをたたく。そんなやり取りが一時間以上も続 く。
彼の曲「スノ(聴いて)」は、昨年十一月下旬に会った当時、ヒ ットチャートのトップを二十週も続けていた。
「私のアルバムは、パキスタンでもとても支持されている。平和 と愛と理解。歌に込めた私のメッセージです」。翌日、アラビア海 に面したホテルであらためて会った彼は、こう言った。
「状況が許せば、早くパキスタンを訪れて歌いたい。私の国と国 民に代わる民間大使役は果たせると思うよ」
インドの音楽や映画が、パキスタンで人気を博しているのは周知 の事実。逆にインドでは、パキスタンのTVドラマが好まれる。し かし公式には、音楽、映画などの文化交流や、雑誌、新聞記事の交 換はまだ禁止されたままである。
「互いの民衆が求めているのに、それを無理に食い止めようとす るのは、仲良くしてもらっては困る、損をするという権力者がいる からだろう」と、アリさんは皮肉を込めて言う。
彼の歌は「スイート」な内容ばかりではない。人間社会に多くの 問題をもたらす「私欲」「あこぎさ」についてもさりげなく触れ る。
「私のメッセージをのみ込むには、少し努力が必要かも…。で も、それが両国で受け入れられているということは、新しい意識を 持った世代が育ちつつあるということだと思う」
肌の色、宗教、人種の違いによって差別しない社会。人間が人間 として平等につながりを持てるコミュニティー。アリさんは、アッ プテンポのメロディーに、自身のメッセージと人類の未来への希望 を託す。
父親はインド映画の有名なコメディアン。父の再婚者は米国人 で、義理の叔母は日本人。二人の叔母はパキスタンに永住し、自身 はインドでキリスト教の布教活動に従事していたニュージーランド 人宣教師の娘と結婚した。
「私はインド人であると同時に世界市民」と言う彼の言葉も自然 に響く。
アリさんは印パの「安全保障専門家」と呼ばれ人たちを厳しく批 判する。「彼らはいつも偽りのシナリオを想像しては人々に『戦争 に備えよ』と訴える。隣国同士でそう言い続ければ、危険が高まる のは当たりまえ。彼らの助言に従っていれば、本当に核戦争が起き てしまうだろう」
「逆に…」とアリさんは言葉を続けた。「私たちのような人間が 増えれば、おのずと問題も解決できる。世界に核廃絶と平和を訴え るヒロシマと、私が歌を通して伝えるメッセージは共通していると 思うよ」
アリさんは、印パ間の文化交流が一日も早く解禁されるよう、両 政府に働き掛けている。