「ソンディ慈善基金」の活動内容について、妻の ニーナさん(右)とともに説明するプラカーシュ・ ソンディさん (ジェランダー市) |
インドのパンジャブ州ジェランダー市で、クリケット用スポーツ 用具を生産する会社社長プラカーシュ・ソンディさん(53)は、自宅 居間でパキスタンとの経済交流について熱っぽく語った。
「パキスタンへ通じる閉鎖中のワガ・アタリ国境が開いて、自由 に物が行き交えば、両国の経済にどれほど貢献するか計り知れな い。政治の壁を早く取り除きたいね…」
人口五十万人余のジェランダーからワガ・アタリ国境までは、車 で北西へ約二時間半。一帯は、インドでも有数の穀倉地帯として知 られる。
「インドでは小麦、砂糖、ジャガ芋、玉ネギなどの農産物が余っ ている。逆にパキスタンでは、これらの品は不足がち。自由な取り 引きができれば、安くて、しかも新鮮な食料をもっと提供できるの だよ」と、ソンディさん。
印パ間の貿易は、密輸によるものを除けば、砂糖などごく限られ た品に限られている。例えば、パキスタンは、小麦を米国やオース トラリアから輸入している。当然、輸送コストがかかり高価とな る。
内戦が続くアフガニスタンからペシャワール市周辺などパキスタ ンに避難中の二百五十万人に達すると言われるアフガン難民。彼ら への食料支給を余儀なくされているパキスタン政府にとって、安い 食料輸入は欠かせない。
逆に、パキスタンでは綿花やアーモンドなどは輸出商品。近いイ ンドに輸出できれば、パキスタンにもメリットである。
ソンディさん自身のビジネスでは、主としてヨーロッパへの輸出 でパキスタンのメーカーと競合している、という。「国内販売も含 め、いい意味での競争は必要だからね。それに、経済交流でそれぞ れの国民が豊かになれば、それだけ購買力が高まる。マイナスの要 素は一つもないよ」
ロンドンで生まれ育ったソンディさんが、父母の故郷のインドへ 定住したのは一九六七年。大学を卒業したばかりの彼は「社会運動 に身を投じてインド社会に貢献したい」と願った。
ところが、父が始めていた小さなビジネスの面倒を見ているうち に「深みにはまって抜け出せなくなった」と、苦笑する。今では従 業員三百六十人を抱え、年商一億ルピー(約三億五千万円)の中堅企業 にまで成長した。
衛生的な職場環境と水準以上の給与、宗教で差別することのない 近代的な雇用形態…。地域奉仕のための慈善基金を設け、百五十人 余の子どもたちに奨学金も支給している。
「雇用の機会を含め、自分のビジネスを通じて社会貢献するのも 一つの社会活動。今ではそういうふうに考えている」と、ソンディ さんは話す。
経済が発展し、一人ひとりの生活が豊かになる。だれもが教育を 受ける機会が与えられる。そうすれば、最大の課題である「人口の 爆発」にも抑制が利く。
「世界の人々から尊敬されたり、注目を受けるのはその国の経済 力や民度。決して軍事力でないことは日本が証明している。印パの 協力関係が進めば、そういう状態に一層早く近付けるだろう」
ソンディさんは、これまでカシミール問題などで対立し、はかば かしい前進を見なかった南アジア地域協力連合(SAARC)での 経済協力の進展に期待する。
「二国間の問題は協議しない」というのがSAARCの原則。と はいえ、印パの首脳や実務者レベルの接触が多くなれば話し合いの チャンネルは広がる。
「その過程で、互いに利益になることから始めていけばいい。政 治的な障害が低くなれば、経済界はほっておいても積極的に交流す るようになるよ」
柔らかい物腰には、ビジネスマンというより、博愛主義者の面影 が漂っていた。