米国政府の情報操作か/90年5月危機


核軍縮会議で発言する元パキスタン軍参謀長のアス
ラム・ベグさん。「5月危機はなかった」と強く否定
する
(イスラマバード市)

 一九九〇年五月、インドとパキスタンは核戦争の瀬戸際にあった ―。

 こんな内容の記事が「核危機」からほぼ三年後の九三年三月、米 国の週刊誌『ザ・ニューヨーカー』に掲載された。この中で著者 は、九〇年当時、米中央情報局(CIA)副長官だったリチャード ・カー氏にインタビューし「キューバ・ミサイル危機(六二年)よ りもはるかに恐怖すべき状況だった」との証言を紹介している。

 日本ではほとんど知られていない「印パ危機」は次のような展開 をたどった。

 ジャムー・カシミール地方の帰属をめぐって続く両国間の対立 は、八九年末以後、インドからの自治や独立を求めるパキスタン支 援のイスラム武装ゲリラの激しい活動で一段と深まった。

 九〇年に入り、インド軍が大規模な軍事演習を行い、国境に兵力 を動かした。パキスタン側も国境付近に兵力を結集した。

 印パの不穏な動きを軍事偵察衛星で察知した米ブッシュ政権は、 このままでは全面戦争に至る可能性が高いと懸念。戦争になれば、 通常兵器で勝るインドが相手を完全に打ちのめす。切羽詰まったパ キスタンが核兵器を使い、インドが核で報復する…。

 両国とも都市の人口密度は高い。核戦争になれば、印パ合わせ何 百万人という犠牲者が出るに違いない。

 ブッシュ大統領は危機回避のため、安全保障担当のロバート・ゲ イツ大統領副補佐官をイスラマバードに急派。ゲイツ氏はホーラム ・ハーン大統領とアスラム・ベグ参謀長に会い、「自制を望む」と のブッシュ大統領の親書を手渡した。

 記事によれば、この時二人のうちのどちらかが「われわれはイン ドを木っ端みじんに吹き飛すだろう。それほど命懸けなんだ」と言 ったとされる。

 ゲイツ氏は二日後にニューデリーへ飛び、インドのビシュワナー ス・シン首相と会い、大統領の親書を渡すとともにパキスタン側の 意向を伝えたとされる。その結果、戦争そのものが回避されたとい うのだ。

 「現実に核抑止力が働いた」と、このストーリーを最も歓迎した のは、パキスタンの核推進論者や一部マスコミだった、という。

 しかし、インドでもパキスタンでも事実を否定する見方が強い。 九一年に陸軍を退いたベグ元参謀長。イスラマバードのホテルで開 かれた核軍縮会議に参加の彼に真相を尋ねた。

 ベグさんは「記事は当たっていない。そもそもパキスタンには、 当時使用可能な核爆発装置は存在しなかった。それに…」と、彼は 言葉を継いだ。

 「パキスタンはインドから決定的、あるいは絶望的な脅威と直面 するような状況にはなかった。核爆発装置を仮に持っていたとして も、使用準備を必要としなかった」

 同じ軍縮会議にインドから参加し、このシリーズの二回目で紹介 した元空軍准将ジャスジット・シンさん(62)も、五月の「印パ核危 機」を言下に否定する。

 「ゲイツ氏の両国訪問で核危機が回避されたと言うのは間違い だ。米国によって神話が作り出されたということだよ」

 シンさんによれば、インド軍が大規模演習を実施したのは事実。 しかし、インド政府にパキスタンを攻撃する意図などまったくなか った、という。「米国は核拡散の危険を世界に広めることで、イン ドやパキスタンに核を持たせないように図ったのだろう。米国流の 情報操作にすぎない」

 ベグさんもシンさんも核抑止論の信奉者である。その二人が「五 月危機」をあっさりと否定する。彼ら以外の証言からも、キューバ ・ミサイル危機のような「一触即発」の状況にはなかったというの が、私が得た感触である。

 だが、真相を完全に明らかにするには、今後、さらに多くの関係 者の証言が必要だろう。


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