孤立恐れず廃絶へ運動/創始者


お手伝いさん夫妻の子ども3人と自宅でくつろぐシ
ャルマさんと妻のニルマラさん、「精神養子にして
いるこの子たちの成長が楽しみなんだ」
(ニューデリー市)

 ヒンズー至上主義の右翼少年からインドの反核運動の創始者へ ―。ジャワハラル・ネール大学院大学の元准教授で核問題専門家の ディレンドラ・シャルマさん(64)=ニューデリー在住=の半生は、 三百年以上に及んだ英国植民地統治の末期からインド、パキスタン の独立半世紀と重なる。インド亜大陸の激動の歴史の断面を映し出 す一人の知識人の足跡をたどる。

  (田城 明編集委員)

 シャルマさんとは、昨年九月初旬、ニューデリー市街南部にある 自宅で会った。一九八九年から九〇年にかけ、中国新聞で連載した 『世界のヒバクシャ』取材の一環でインドを訪問し、核問題専門家 として彼にインタビューして以来、七年ぶり二度目の対面である。

 「九三年に大学を退職してね。今は年金生活者だよ。でも、忙し さは昔と変わらないな…」

 居間のソファに腰を下ろしたシャルマさんは低音のよく通る声で 言った。強い意志がみなぎる角張ったあご。眼鏡の奥の目は鋭く、 そして優しい。毎朝一時間の散歩とヨガ体操で鍛えたがっしりとし た体からは、六十代と思えぬエネルギーがあふれていた。

 「七年前と少しも変わらないですね」

 「いや、変わったよ。新聞記者をしていて気付かないかね。鈍い な、君も。ほら、随分髪が薄くなったろう」。ユーモアに包み込み ながら彼は笑みを浮かべ、そっと頭に手をやった。

 「ところで、国際司法裁判所(ICJ)での平岡敬広島市長の意 見陳述。フルテキストを入手して読んだけど、原爆がもたらす人間 的悲惨を強く訴えながら、核兵器使用ばかりか、その開発、保有、 実験まで国際法に違反すると述べているのには感動したよ」

 九五年十一月、平岡市長は長崎市の伊藤一長市長とともに、オラ ンダの国際司法裁判所で日本政府の参考人として意見陳述した。シ ャルマさんはそのことに言及しながら、九六年七月に出された「核 兵器使用と威嚇は国際法に一般的に反する」とのICJ勧告を評価 した。

 「被爆地やわれわれの願いとはまだ開きがある。でも、核保有国 ばかりでなく潜在保有国に対しても道徳的な歯止めにはなるだろ う。市長らの発言が少なからず裁判官の判断に影響を与えた思う よ」

 退職後も変わらぬ社会問題への関心。しかし、ICJ勧告に対す る彼の評価とは別に、インドは包括的核実験禁止条約(CTBT) に一貫して反対している。シャルマさんの立場は、以前にも増して 国内で孤立しているのではないだろうか。

 「孤立ね…、うーん、そうかもしれない。でも、それを恐れてい ては核廃絶など到底達成できないね。民主主義や社会正義を求めて きた私の人生は、いつも孤立していたと言えるかもしれないな…」

 シャルマさんは感慨を込めて言った。今も新聞紙上などで核問題 やカシミール問題などで論陣を張り、季刊誌『哲学と社会行動』の 発刊を主宰する。

 「一年前から田舎の人々の生活を改善するプロジェクトにも取り 組んでいる。週末は多くの時間をそれに割いているんだ。一度、現 地を案内するよ」

 パキスタン取材を挟み、十二月末までの延べ二カ月余にわたるイ ンド滞在。この間、シャルマさんや妻のニルマラさん(58)とは、イ ンド各地の取材からニューデリーに戻るたびにインタビューを重ね た。

 「田舎で新しいプロジェクトを始めるなど、夫はいつまでもドリ ーマーでファイターなのよ。死ぬまで直らないみたい…」。ニルマ ラさんが苦笑を交えて評するシャルマさんの半生。だが、少年期の 彼には成人後とは全く別の顔があった。


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