娘婿や孫に「古里」映る/父の郷愁


「宗教は私にとって大切だが、個人的なもの。宗教
の違いにを理由に戦うのは愚かなことだ」と話すスリ
ンダー・シンさん

(ニューデリー市)

 「インドの解放経済政策と女性労働者への影響」をテーマにした 論文締め切りに追われるアムリタ・チャチーさん(42)とは、パキス タンからインドへ再び戻った時に会う約束をした後、同居の父親ス リンダー・シンさん(72)に突然の取材を申し入れた。

 「私に話すことなどあるかな」。居間でくつろいでいた父親は、 こう言いながらも嫌な顔一つせず応じてくれた。シーク教徒男性の シンボル、ターバンを頭に巻き、長いひげを伸ばす。一九七九年、 陸軍少将で退役。その後は悠々自適の日々を過ごす。

 「娘の結婚? うーん、互いに好き合っていたから、こんなこと もあるかとは思っていた。でも、国際電話で結婚の知らせを受けた 時は、正直驚いたよ」。シンさんはあごひげをなでながら、おうよ うな口調で言った。

 長女の夫でパキスタン人のカラマタ・アリさん(52)とは、結婚前 年の九一年にニューデリーで顔を合わせていた。

 「労働問題の国際会議に参加していた彼を自宅に連れて来たん だ。いい男だと、むろん思ったよ。でも、結婚話はひと言も口にし なかったから…」  八四年に妻を失ってからは、芸術家の二女(38)と同居。長女のチ ャチーさんがオランダから帰って来た時は、初孫のソーラブちゃん (3ツ)も一緒だ。

 「結婚後、婿も何度か会議などでインドへ来ては家に立ち寄っ た。もう少し一緒におれればいいんだがね」。娘家族を思いやりな がらも「覚悟の上の結婚だから」と、あまり気にしないようにして いる、という。

 シンさんには、アリさんがパキスタン人との意識は余りない。と いうのもシンさん自身、現在のパキスタンのラホールに生まれ、ラ ワルピンディで育ったからだ。

 「父親がインド国有鉄道の医師でね。一九四七年の分離独立以前 はラホールからラワルピンディにかけてのパンジャブ州には、多く のシーク教徒が住んでいた」

 シンさんは四三年、十八歳で英国植民地下のインド軍に入隊。第 二次世界大戦中は、インド東北部ナガランド州コヒマ付近で日本軍 と戦い、四七年の独立直後の混乱期はニューデリー駅近くで暴徒化 したヒンズー教徒からイスラム教徒を守った。

 さらにその年の十月二十七日、インド軍の第一陣としてジャムー ・カシミール地方のスリナガルへ。都市部近くまで迫ったパキスタ ン軍や支援部隊に反撃しながら年末まで戦った。

 「当時、カラチで勤務していた父は母と弟を連れ、最後の列車で インド側へ避難した。でも、ラワルピンディにあった土地や家など の財産はすべて失ったよ」

 現役時代は軍人として常にパキスタンと対峙(じ)してきた。し かし、彼の心の片隅にはいつも「おかしい」との思いが横たわって いた。隣の国はどうしても「敵」にならなかった。幼少年期の思い 出が詰まった「故郷」だった。今でも「その気持ちは変わらない」 と言う。

 そんなシンさんにとって、娘婿のアリさんは「敵国人」ではな く、心の中の「同郷人」なのだ。その同郷人同士のつながりを「国 家」という壁が阻んでいる。そう思えてならない。  「私らの世代には、今でも独立時に国が分離しなければよかっ た、と思う者が多い。今のパキスタンで生まれた私のような人間に はなおさらね…」

 分離独立後、一度も訪れたことのない故郷。シンさんにとって娘 婿や孫は、故郷へのノスタルジアを埋め合わせてくれる存在として あった。


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